[和菓子タイムトラベル]シュガーロードの旅〜佐賀前編〜

[和菓子タイムトラベル]シュガーロードの旅〜佐賀前編〜

和菓子メディア「せせ日和」を運営している「せせなおこさん」に、和菓子を通じて日本の文化や歴史を教えてもらう連載!読んで学んで、和菓子をもっと身近に感じてくださいね。

和菓子大国、佐賀

前回は長崎編をお届けしましたが、シュガーロードは、大きく3つに分けることができると考えられています。前回までの記事で紹介した長崎から佐賀にかけての砂糖、南蛮菓子エリア。そして、筑後から佐賀平野に広がる餅、穀物エリア。そして、福岡を中心としたシュガーロード北部にあたる飴エリアが存在します。

あまり知られていませんが、実は佐賀はお菓子大国ともいわれているんです!たくさんの種類のお菓子が生まれ、現代まで受け継がれてきました。大手メーカーの森永製菓や江崎グリコの創業者も佐賀の出身なんです。

少し前のデータにはなりますが、2015年タウンページ調べによると、人口約10万人当たりに対する和菓子屋さんの登録件数を都道府県別にランキングすると、佐賀はなんと4位。京都、石川、島根の日本三大和菓子どころに続いてランクインするほど和菓子屋さんがたくさんあり、そのためそれぞれのお菓子のレベルも高いのが特徴です。

さて、今回からは佐賀が和菓子大国になった理由を探っていきたいと思います。まずは、餅エリアと呼ばれるほどになった餅菓子、そして餅文化を生んだ「お米」に注目していきます。

朝鮮半島からやってきた米文化

日本食といえば、お米を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。佐賀県は日本のお米の歴史で重要な位置を占めています。というのも、現在確認できる日本最古の水田跡が「菜畑遺跡」にあり、また弥生期最大の環濠集落群である吉野ヶ里遺跡では、稲作を中心とした社会形成を見ることができるためです。

温暖な気候と豊かな水、そして、江戸時代に本格化した干拓によって佐賀平野が広がり全国屈指の米どころになりました。特に佐賀ではもち米の栽培が盛んで「ヒヨクモチ」という品種は、九州内の多くの和菓子屋さんで使われています。

朝鮮半島が近いことから、文化や風習も伝わり、お菓子やお祝い事にもお餅を用いる文化が残っています。さて、そんなお米を使ったお菓子とは、どんなものがあるのでしょうか。

お菓子のお刺身「白玉まんじゅう」

小さい時から佐賀に行くと必ず帰りに買って帰るのがこの「白玉まんじゅう」でした。小ぶりなサイズともちもちした食感、なめらかなこしあんのシンプルな組み合わせが大好きです。ただ、賞味期限が当日中と日持ちがしないため、めったに食べられないのにすぐに食べなきゃいけないという、私にとってとても特別なお菓子です。


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そんな白玉まんじゅうは明治15年、佐賀県、川上に伝わる「与止日女(よどひめ)伝説」に登場する白玉饅頭がモチーフに生まれました。川上では中国との交流があったことから、ルーツは中国の家庭料理として親しまれている「紹興団子(しょうこうだんご)」ではないか、といわれています。

現在白玉饅頭を販売しているお店は3軒。日持ちがしないこと、もちもちの食感は「お菓子のお刺身」といわれています。最近は冷凍技術の発達により、取り寄せできるお店もあります。

名前の由来は豊臣秀吉?「けえらん」

続いて紹介するのは「けえらん」というお菓子。けえらんはお米で作った生地であんこを巻いたとてもシンプルなお菓子で、実は私も最近までその存在を知りませんでした。けえらんは、戦国武将の豊臣秀吉が朝鮮出兵のため諏訪神社にお参りをした際、地元の方々が献上したお菓子と言われ、「戦に勝つまで帰らん」と言ったことから「帰らん→けえらん」が名前の由来とされています。


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けえらんは玄海地方の銘菓。ルーツは中国ではないかといわれています。というのも、中国では「豆沙条斗糕(とうさじょうとうこう)」という、けえらんにそっくりのお菓子が売られているためです。うるち米で作った生地であんこを包んだとてもシンプルなお菓子。熊本では、生地が餅米で作られた、「山鹿羊羹(やまがようかん)」の名前で販売されています。


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もともとは諏訪神社の春祭りの時期にのみ、神社付近で売られていましたが、この地域の名物となり、明治時代にけえらんのお店が創業。今でも諏訪神社前の通りには、けえらんのお店が数軒並んでいます。

まるであんこの海!「綾部のぼたもち」

さて、次の銘菓は「綾部のぼたもち」というお菓子です。ぼた餅というと春のお彼岸の時期に食べるものを思い浮かべますが、綾部のぼたもちはお祝いのぼた餅として知られていて、その形も一般的なイメージとは少し異なります。綾部のぼたもちは、小さなお餅にたっぷりのこしあんがのせられ(もはやお餅が埋まっていて)、あんこ好きにはたまらない光景です。


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綾部のぼたもちの歴史はとても古く、誕生したのはなんと鎌倉時代!源頼朝が奥州の藤原氏を征伐した時、当町綾部の城主「綾部四郎大夫通俊(あやべしろうだゆうみちとし)」が手柄を立て、帰ってきた際、地元の人たちが祝い餅として振る舞ったお餅をきっかけに誕生しました。


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もともとは味噌あんが使われていましたが、江戸時代の終わりにあずきが使われるようになり、現在のスタイルになったと考えられています。綾部神社の参道の茶店2軒でしか売られておらず、日持ちもしないため、あまり知られていないのですが、あんこ好きな方にはぜひ食べて欲しいお菓子です。

佐賀を代表する隠れ銘菓「おこし」

そして最後に紹介するのが「おこし」です。おこしといえば、東京の雷おこし!と思っていましたが、おこしは1000年以上も前に中国からやってきた、九州を代表するお菓子です。前回の長崎編で紹介した諫早おこし、そして、佐賀には松原おこし、大門おこしと佐賀を代表するお菓子のひとつとして栄えています。


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松原おこしは、日本三大松原のひとつでもある虹の松原にある松をモチーフに作られました。けいらんと同じく豊臣秀吉にまつわるお菓子で、秀吉が休憩している時に献上したものが起源とされています。虹の松原にはおこしのお店が立ち並び、お土産としても販売されています。


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一方、約200年続く大門おこしは三間山円通寺の大門(石門)があったところにお店があったことに由来し、旧唐津街道の通り道だったことから、旅人に楽しまれてきました。

お米のお菓子を辿っていくと、中国や韓国からの影響がとても大きいことがわかりました。シュガーロード=長崎、南蛮菓子というイメージだったのですが、意外な発見があり、知れば知るほどワクワクしています。次回は佐賀の「小麦のお菓子」に注目してみたいと思います。次回もお楽しみに!


<参考文献>
●「肥前の菓子」村岡安廣
●「砂糖の通った道」八百啓介
●伊藤けえらん、麻生本家 パンフレット
●Plenus 米食文化研究所:https://kome-academy.com/
●JAさが:https://jasaga.or.jp/agriculture/nousanbutsu/kome



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著者情報

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せせなおこ
あんこが大好きな和菓子女子。和菓子を好きになったきっかけはおばあちゃんとつくったおはぎ。小さな和菓子に日本の文化や歴史が反映されているのに魅力を感じ、和菓子を発信すべく和菓子メディア「せせ日和」を運営。商品開発や和菓子専用のコーヒーのプロデュースもしています。
せせ日和:http://sesebiyori.com/