![[江戸メシ クロニクル]江戸のファストフードさつまいも](/files/cache/31a3ea549af3561a294e3702899c2ae9_f3551.jpg)
食の偏愛コラム
[江戸メシ クロニクル]江戸のファストフードさつまいも
食や料理への「偏愛」を教えてもらうHolicClip。江戸の食文化を愛するクックパッドエンジニア・伊尾木さんによる人気コラム「江戸メシ クロニクル」です。今回は秋の味覚「さつまいも」について語っていただきました。
前回の記事はこちら:https://foodclip.cookpad.com/10136/
新参者から重宝される食材に
最近、3食全部江戸時代のご飯だけを食べるという施策を個人的に開始した(家族は今まで通りの食事だ)。 まだ始めたばかりだが、心なしか体調が良い。多くの人にとって、漬物はどちらかといえば添え物という印象かもしれないが、今の僕にとっては重要な「おかず」だ。 毎日ぬか漬けを作っては食べている。最悪、ご飯と漬物と味噌があれば、食事として成り立つ感覚になってきたし、肉を食いたいという欲求も無くなってきた。いい感じだ。 皆さんもやってるみといい。
今回はさつまいもについての話だ。江戸時代、芋といえば里芋や山芋だった。 さつまいもは、じゃがいもと同様江戸時代から食べられるようになった新参者だ。 じゃがいもは江戸時代にはあまり一般的にはならなかったのに対して、さつまいもは日常の食としても普及し、飢饉の際にも重宝される本当に重要な食材になった。
江戸時代後期のファストフード、焼き芋
さつまいもは広く普及したが、特に焼き芋は江戸時代後期の大人気ファストフードだった(京都、大坂では蒸し芋が人気だった)。
芋でさえ煙をたてる花の江戸
行灯は赤いまんまでさつまいも
堀江町風しづまってさつまいも
と唄われた。最初の唄は火事の多さと焼き芋の煙の多さをかけたものだろう。 2つ目と3つ目は、赤い行灯をつけたスイカ売りと堀江町(現在の日本橋付近)の団扇売りが、秋になって焼き芋屋に変わったという意味だ。 つまりは秋になると猫も杓子も焼き芋を売ったということだ。タピオカが流行れば、タピオカ屋が増え、マリトッツォが流行ればどこもマリトッツォを売るのと大差ない。
さらには焼き芋は木戸番でも売られた。木戸というのは江戸の町々に作られた門のことで、朝と夜に門を開閉された。その番人が木戸番だ。
木戸番:守貞漫稿 巻3/国立国会図書館デジタルコレクション
最近の時代劇ではちゃんと、というか、木戸が出てくるものがあるが、この絵の真ん中の門が木戸だ。その木戸の横に、ちょっとした売り物屋があるのが分かるだろうか。この売り物屋の続きの家が木戸番になる。
見て分かるように、番人といいながら、実際には商売をしている。売っているものは生活雑貨などで、今のコンビニに近い感覚だ。ここで焼き芋が売られた。どころか、焼き芋といえば木戸番というくらいだ。
ちなみにこの木戸番は町ごとにあったわけだが、江戸時代中期には、江戸には1,678町あったとされる[2]。これらすべての木戸番で焼き芋を売ったとすれば凄い数だ。現在の東京は人口1,400万に対して、コンビニ数が約8,000店舗らしい[3]。これに対して、江戸は100万の人口に対して、1,678となり、単純な比率でいってコンビニよりも3倍ほど多い。この数がどこまで確かか不明だが、それでも相当数多いことは間違いない。確かに江戸中モクモクと煙があがっていたのだろう。
当然値段も安い。江戸繁昌記によれば、子供なら4文(80円程度)で1食分(1〜2本だろうか)、大人でも10文(200円程度)で1食分(2〜3本だろうか)とされた。サイズにもよるが、今の焼き芋よりもかなり安かった可能性がある。こんなに安くて栄養も食物繊維もあり、さらに甘くておいしいとなれば、僕なら毎日買い込むこと間違いなしだ(そして数日で嫌になる)。
甘藷百珍
さつまいも人気は、ついにレシピ集が出版されるほどになった。「甘藷百珍(芋ひゃくちん)」という書物で、江戸時代後期の1816年に大坂で出版された。何回か前の記事で、豆腐百珍というレシピ本を紹介したが、そのさつまいも版ということだ。百珍といいながら、123品もある。「芋ひゃくにじゅうさんちん」では、ゴロが悪いから気持ちは分かる。そもそも百科事典などのように、この手の数字には「とても多い」以上の意味はない。ちなみに、豆腐百珍は本当に100品だ。さすが先駆者は違う。
甘藷百珍:国立国会図書館デジタルコレクション
この中の内容をみると、多くの料理でさつまいもをおろしたり、漉したりして、全く違う形に作りあげるということをしている。これらが実際にどれくらい料理されたかは不明だが、創意工夫を凝らしてさつまいもを食べていたようだ。
ちなみに、さつまいもデンプンの抽出法まで書かれていて興味深い。しかも、これが尋常品、つまりはよくある食べ方として記載されている。そんなにみんな、さつまいもデンプンを抽出したのだろうか?というと、結構この手のデンプン粉は使われていたようだ。救荒食としても重宝されていた。甘藷記という書物にも、さつまいもデンプンをくず粉の代わりにできると書かれてる。
八里半、十三里、意外なさつまいもの呼び名
さつまいもは、当時さまざまな呼ばれ方をしていた。先に甘藷百珍を紹介したが、「甘藷(かんしょ)」とは、甘い芋で、さつまいものことだ。他にもリュウキュウイモ、カライモとも呼ばれた。リュウキュウイモは、琉球経由で来日したからだが、カライモとは中国の唐の意味というよりかは、「外国の」くらいの意味だ。さつまいもも、薩摩の芋という意味で、地名付きで呼ばれることが多い。どうやら似たものがすでに国内にある場合、「どこのものか」で判断されるようだ。確かに、現在も「台湾カステラ」とはいうが、「台湾タピオカミルクティー」とはあまり言わない。
地名以外の興味深い名前としては、八里半と十三里がある。 八里半というのは、「栗より少し劣る」という意味だ。栗を「九里」として、それよりも少しだけ短い八里半として、栗(九里に)は少しだけ届かないという意味にしている。栗とさつまいもを比較しているのが、面白い。さつまいもと栗は確かに味は似ているが、僕にとってはそこまで似ていると感じなかった。が、さっきインターネットで調べたら、結構多くの人がさつまいもと栗の味がとても似ていると感じるらしい。僕よりも江戸人に近くて羨ましい。
十三里というのは、「栗よりもうまい」さつまいもという意味だ。つまり栗(九里)より(四里)もうまいので、九里と四里を足して十三里というわけだ。初見の人にはまったく分からないが、江戸人はこういうダジャレが大好きだった。僕も、このダジャレは上手いっと思う。よかった、少しは江戸人に近づけた。
十三里/名所江戸百景 びくにはし雪中:国立国会図書館デジタルコレクション
ちょっとわかりにくいが、この絵の右のほうに「十三里」と書かれている。その横の「◯やき」は「まるやき」でまるまる焼いた焼き芋のことだ。
ちなみに(ちなみに余談だが、この記事は「ちなみに」が多い。しょうがない。この記事はそもそも江戸時代の余談ばかりなのだから)、十三里というのは主に京都で使われ、八里半というのは主に江戸で使われた。栗といえば、京都丹波が名高い名産地だが、それよりもうまいと「あの」京の人が思ったのだとしたら、これはとても興味深い。いや、特に他意は無い。
【参考文献】
[1]「お江戸の意外な「食」事情」,中江克己, PHP研究所, 2008.
[2] https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/0712edo_hanni.htm , 2021/09/13 閲覧.
[3] https://uub.jp/pdr/m/c.html , 2021/09/13 閲覧.
[4]「日本におけるサツマイモ摂取の変遷に関する研究」, 露久保美夏,アサヒグループ学術振興財団 2018年度 研究紀要, 2018.
[5]「下級武士の食日記」, 青木直己,筑摩書房, 2016.
[6]「日本農書全集 第70巻」, 農山漁村文化協会, 1996.
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著者情報

- 伊尾木将之
- 大阪出身のうさぎ好き。修士までは物理を学び、博士課程で情報系に進むも撃沈。現在はクックパッドでエンジニアをしながら、食文化を研究している。
日本家政学会 食文化研究部会の役員を務める。
2020年秋から社会人大学生(文学部)に。
本業は川崎フロンターレのサポーター。
https://github.com/kikaineko/masayuki-ioki