[和菓子タイムトラベル]シュガーロードの旅〜佐賀後編〜

[和菓子タイムトラベル]シュガーロードの旅〜佐賀後編〜

和菓子メディア「せせ日和」を運営している「せせなおこさん」に、和菓子を通じて日本の文化や歴史を教えてもらう連載!読んで学んで、和菓子をもっと身近に感じてくださいね。

お菓子大国、佐賀

こんにちは。前回からお菓子大国である佐賀県の秘密を探っています。米どころである佐賀県で生まれたお米やお餅でできた和菓子に焦点を当てて、ご紹介しました。今回は小麦からできたお菓子、そして「これなしでは佐賀は語れない!」といっても過言ではない佐賀の銘菓、羊羹について探っていきたいと思います。

佐賀の小麦文化

第3回南蛮菓子の記事でも紹介した、丸ぼうろという佐賀の銘菓があります。丸い形で外側はサクッと、中はしっとりとしたなんとも表現し難い、しかし素朴でやさしくどこか懐かしいお菓子です。

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ちなみに、佐賀出身の大隈重信は丸ぼうろが大好きだったんだそう。東京までわざわざ職人を呼び寄せて作らせたというエピソードまで残っています。偉い人も同じお菓子を食べていたと思うと、なんだか身近に感じられますね!

丸ぼうろはもともとポルトガル船員の保存食として食べられていましたが、佐賀に定着したのは佐賀が小麦の産地だったためだと考えられています。ポルトガルの宣教師たちは、佐賀のことを「麦地(麦ができる土地)」と書き記しています。長崎の銘菓、カステラも材料は小麦。運ばれてきた砂糖はもちろんのこと、この佐賀の小麦があったからこそ、南蛮菓子が発展したともいわれています。


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大きな口でガブリ!ボリューム満点の「岸川饅頭」

早速、小麦粉を使ったお菓子をご紹介していきましょう。まずは岸川饅頭(きしかわまんじゅう)というお饅頭。岸川饅頭は、佐賀市内から車で40分程度の多久(たく)という場所の名物。その地名をとって多久饅頭とも呼ばれます。


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多久は元禄時代に中国文化を招いたことにより、日本最古の孔子廟や中国種の野菜や果物など、中国文化が色濃く残っています。当時、中国から文化とともに伝来したお饅頭が岸川饅頭です。小麦粉で作られる皮生地にあんこが入ったとてもシンプルな酒饅頭ですが、直径約10cmと、とても大きくてボリュームがあります。中国ではお肉や野菜をはさんで食べていたそうで、よもぎやさつまいも、あんなし、黒糖などいろんな種類のお饅頭が売られていました。売り切れている種類もあって、地元の方々に愛されているのがわかりました。


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ちなみに、佐賀市内の和菓子屋さんでは酒饅頭(蒸したお饅頭)を売っているお店がとても多かったです。中身は甘いものもあれば、肉まんのように甘くないものも。他の地域ではなかなかみられない蒸し饅頭文化は、とても興味深いものがあります。

ころんとかわいい「松露饅頭」

佐賀・唐津(からつ)の銘菓といえば、松露(しょうろ)饅頭は外せません。唐津のお菓子ではありますが、佐賀以外でも購入でき、県をこえて浸透している九州を代表するお菓子の一つです。まん丸の形がとってもかわいいお饅頭で、薄いカステラ生地の中に濃厚なこしあんがたっぷりと詰まっています。ちょうどいい一口サイズで食べ出したら止まりません…!!!


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もともと松露饅頭は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に陶器と一緒に焼き饅頭として渡ってきました。日本三代松原のひとつ「虹の松原」の松の根本に生えるキノコ「松露」に似ていることから、この名前になったのだそう。唐津のお祭り「唐津くんち」のお土産菓子であったこと、また唐津では茶道が盛んだったことから、唐津を代表するお菓子に発展したと考えられています。

佐賀といえばやっぱり羊羹!

佐賀といって忘れてはいけないのが”羊羹”です。なんと佐賀の家計調査の羊羹消費量は、全国1位。私は小さいころから知っていたので当たり前だったのですが、佐賀の羊羹はあまり知られていない存在であることにびっくりしました。


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というのも、佐賀にある小城(おぎ)には羊羹の街があり、そのまま地名をとって「小城羊羹」と呼ばれ、親しまれています。他の地域の人と話した時に、「羊羹の街」に衝撃を受けているのが印象的でした。

小城で羊羹が作られるようになったのは、明治時代だといわれています。炭鉱業に失敗した小城鍋島家の御用肴屋だった森永氏が、家を建て直すために大阪虎屋で学んだ羊羹を作りはじめたとされていますが、詳細はわかっていないことも多いのが現状です。

日清・日露戦争において、戦場に運ばれても品質を損なわないことが評価され、羊羹の人気は高まりました。軍事施設のあった長崎の佐世保や福岡の久留米のちょうど中間地点だったことから、軍備品としても使われ、また、鉄道が走りはじめたことにより羊羹の需要も高まりました。

小城はもともと小城藩として栄えており、明治時代、人口の約半分が士族だったのだそう。羊羹の人気に伴い、さまざまな職業を営んでいた人々が業種を変えて羊羹業を営むようになりました。多くの羊羹屋さんが生まれ、その件数は約30軒にものぼります。


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小城羊羹は空気に触れることで周りから砂糖が固まり、外側はシャリっと、中はねっとりとした食感を楽しめるのが特徴です。小さい頃からこの小城羊羹で育った私は、はじめて普通の練り羊羹を食べた時に「え?シャリシャリは?」と、このお砂糖部分がないことにとてもびっくりしました。また、小城羊羹初祖とされている村岡屋総本舗には羊羹資料館が併設されており、羊羹の歴史を学ぶことができます。


前回から2回に分けて佐賀のお菓子を見てきました。今まで南蛮菓子が色濃く残る長崎に比べて、佐賀のお菓子はまんじゅうやお餅など”ザ・和菓子”のイメージがありましたが、そのルーツは中国や朝鮮からやってきた文化が浸透し、発展してきたことがわかりました。次はお隣の県、福岡に進んでお菓子を探っていきましょう!次回もお楽しみに!


<参考文献>
●「肥前の菓子」村岡安廣
●「砂糖の通った道」八百啓介
●大原老舗:https://oohara.co.jp/
●家計調査 2018年(平成30年)~2020年(令和2年)平均



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著者情報

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せせなおこ
あんこが大好きな和菓子女子。和菓子を好きになったきっかけはおばあちゃんとつくったおはぎ。小さな和菓子に日本の文化や歴史が反映されているのに魅力を感じ、和菓子を発信すべく和菓子メディア「せせ日和」を運営。商品開発や和菓子専用のコーヒーのプロデュースもしています。
せせ日和:http://sesebiyori.com/