![[発見。ニッポン食文化見聞録]信州大豆の経木納豆](/files/cache/926134b5f6ef13a717021f03c70b9c4f_f4369.jpg)
食の偏愛コラム
[発見。ニッポン食文化見聞録]信州大豆の経木納豆
その土地土地において伝統的に培われた「本場」の製法で、地域特有の食材などの厳選原料を用いて「本物」の味を作り続ける人々がいます。そんな製造者たちによって作られる「原料」や「製法」にこだわった伝統食品を通して、日本各地の豊かな食文化を探っていく竹下大学さんによる連載。第4回目は、信州大豆の経木納豆を紹介します。
日本における納豆の歴史
納豆には2タイプある。糸引き納豆と塩辛納豆だ。
塩辛納豆は調味料として東アジアで広く食べられているが、おかずとして糸引き納豆ばかりを好むのは日本だけである。
ところが糸引き納豆がいつ生まれたのかは、諸説あってはっきりしない。室町時代に書かれた書物の中には、その特徴とともに「納豆」の文字が記されているため、遅くともこの頃にはある程度広まっていたと考えられる。
その後、納豆は各家庭で手作りされる料理のひとつとなっていった。納豆が買うものに変わったのは江戸時代前期。江戸で納豆の製造販売を生業にする者たちが出現してからである。もっとも当初の食べ方は、刻んだたたき納豆を納豆汁にするのが主流で、文政年間(1818年から1830年)までは、納豆売りはたたき納豆を売っていた。それが天保年間(1831年から1845年)になると、朝から忙しい町人たちの間で納豆ご飯をかきこむ朝食スタイルが広がり、納豆売りは粒納豆だけを売るように変わった。
参照:納豆売り「人倫訓蒙図彙」7巻(4)国立国会図書館デジタルコレクション
納豆は、大豆の煮豆と稲藁との偶然の出会いから生まれた加工食品である。稲藁というよりも、稲藁についている枯草菌(納豆菌)との出会い、といった方が正しい。藁苞(わらつと)納豆の藁苞は、単なる包装資材ではなく、煮たり蒸したりした煮豆を発酵させるための特殊容器だったのである。
一方で藁苞は衛生面で問題があり、腐敗菌や食中毒菌が繁殖してしまうことも多かった。
藁苞が不要になったのは、明治時代に納豆菌が純粋培養されるようになってから。納豆菌を分離した矢部 規矩治(きくじ)、純粋培養に成功した澤村眞、今も使われる「成瀬株」を発見した村松舜祐らの研究成果により、初めて納豆の安定生産が可能になった。
納豆の生産方法の変遷にともない、容器も変化していった。北海道帝国大学農学部(現北海道大学)の半澤洵らが「札幌納豆容器改良会」を設立。「宮城野株」とともに、経木の折箱で納豆を発酵させる生産方式の普及に努めた。誰もが高品質な納豆を製造できるようになったのは、木材を薄く削った経木が稲藁に取って代わったからなのだ。
なお、個別カップ容器が出現したのは1977(昭和52)年。太子食品の商品化によってであった。これにより納豆は、大きな器で混ぜた後に家族で取り分けるのではなく、各自がぐるぐるするスタイルに変わったのである。
経木とは
経木とは、アカマツなどの針葉樹を0.1~0.2ミリの厚さに薄く削ったもの。木に由来する成分による抗菌効果があるため、大昔から食品の包装資材として重宝されてきた。昭和30年代までは、食品は経木で包むのが当たり前であった。経木の生産量もこの頃にピークを迎えている。
状況が一変したのは昭和40年代。包装紙やアルミホイル、ビニール、プラスチックなどが、一気に普及したためである。それと同時に、各地に多数存在していた経木メーカーも経木職人も、次々と廃業を余儀なくされていった。
いまや経木メーカーは全国でも数えるほど。売上減と後継者不足に悩みながらも、伝統的な食文化を守ろうと経営努力を続けている。
納豆の健康効果
「関西人は納豆を食べない」。こんな通説もすでに過去の話になろうとしている。マスメディアによって、納豆の健康効果が広く知れ渡るようになったのが原因だろう。身近な食べものの健康効果を面白くかつ、わかりやすく伝えるメディアの影響は大きい。放送翌日、スーパーの棚が空になってしまうような影響力は、ゴールデンタイムのテレビ番組ならではだ。
「納豆をよく食べれば整腸作用と免疫力向上が期待できる」というのは、もはや常識レベルになった。さらに、ナットウキナーゼの機能についても広まりつつある。
血液をサラサラにする働きのあるナットウキナーゼは、納豆菌が分泌するタンパク質分解酵素。血栓を特異的に分解する機能が明らかになっている。血栓は深夜から早朝にできやすいため、血栓予防という観点から、納豆は朝よりも夜食べる方がオススメと言われているわけだ。
長野産大豆と長野産経木にこだわる村田商店
信州産大豆と信州産経木にこだわった納豆をつくっている会社が、長野駅のすぐ近くにある。創業70年。地元で長く親しまれてきた村田商店だ。
3代目社長の村田滋さんはこう語る。
「当社は、祖父の代に経木納豆から納豆製造を始めた会社です。おかげさまで、『一度経木納豆を食べてしまったら、もう他の納豆は食べられない』とおっしゃってくださるお客さまが大勢いらっしゃいます」
経木で発酵させた古今納豆を試食させていただいた際に、すぐに気づいたことがある。それはにおいの違い。納豆ならではの、あのツンとした刺激臭がまったく感じられないのだ。
「納豆嫌いの方が気にされるにおいは、発泡ポリスチレンのにおいと容器に籠ったにおいであることが多いのです。経木は通気性に優れていますから、納豆本来のにおいだけしかしません」と村田さん。
村田商店が経木納豆にこだわる理由
いまでこそ経木納豆を看板商品としている村田商店だが、20年間ほど経木納豆の製造販売を止めていた期間がある。理由はふたつ。生活者ニーズの変化と量産化である。
それを村田さんが3代目を継ぐタイミングで、復活させる決断をしたのだ。
「平成9年に経木納豆の販売を再開したのですが、開発には約2年もかかってしまいました。製造設備を一新していたためです。経木納豆に最適な条件を見出すのは想像以上に大変でした」
やっとの思いで納得のいく味を再現した村田さんには、他に大きな気がかりがあった。県内唯一の経木職人、山岸公一さんが高齢のためにいつ引退してもおかしくない状況だったことだ。可能な限り経木の在庫を持ったとしても、いつかは尽きてしまう。
信州産大豆と信州産経木が揃ってこそ、村田商店の経木納豆である。村田さんの行動は早かった。山岸さんが所有する昭和30年代製のスライサー2台のうちの1台を譲り受け、新規事業として経木生産に乗り出したばかりの木工会社「やまとわ」(伊那市)に、経木納豆用の経木生産を持ちかけたのだ。
「山岸さんは大幅に生産量を縮小しています。やまとわさんが経木納豆づくりに適した経木を製造できるようになったのは、つい最近ですから、本当にギリギリのタイミングでした。やまとわさんとともに、長野から新しい経木文化を発信していきたいですね」
やまとわの「信州経木shiki」は、オンラインショップで誰でも購入することができる。
SDGsの目標にも合致している経木納豆
味以外にも、経木納豆ならではの利点がある。まずは石油製品のゴミを出さず環境にやさしいこと。さらに物流コストを抑えられるメリットもある。一般的な個別容器だと容器自体に空間ができるほか、輸送用の箱に詰めた際にも容器と容器の間にも無駄な空間ができてしまう。これが経木納豆だと隙間なしに詰められるため、納豆1個当たりの運賃が安くなるというわけだ。
経木納豆には、お取り寄せで1ヶ月分をまとめて購入し、冷凍庫で保存するようなリピーターも多くついている。納豆は冷凍しても1ヶ月程度なら味は変わらないから、冷凍庫で場所を取らない形も気に入っているに違いない。
「納豆は原材料も製法も、昔から基本的には何も変わっていません。日本人の健康をずっと支えてきた伝統食品なのです。だからこそ、おいしい納豆をお届けし続けることで、私自身も社会を支える存在になりたいと考えています」
納豆は和食の代表格だと語ってくれた村田さん。村田商店の経木納豆は、日本の伝統的な食文化だけでなく、持続可能な社会を支える礎にもなっていくのかもしれない。
信州大豆の経木納豆は、「本場の本物」でも認定
「本場の本物」とは、日本各地の豊かな食文化を守り育てるために設けられた地域食品ブランドです。言い換えれば、その土地土地において伝統的に培われた「本場」の製法で、地域特有の食材などの厳選原料を用いてつくり続ける「本物」の味と認められた食品の証です。
信州大豆の経木納豆は、「本場の本物」に伝統の味、本物の味として認定されています。
https://honbamon.com/product/722/index.html
【参考文献】
「納豆の起源」横山智、NHKブックス、2014
「納豆の食文化誌」横山智、農文協、2021
「日本の食文化史」石毛直道、岩波書店、2015
「納豆近代50年史」全国納豆協同組合連合会、2004
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著者情報

- 竹下大学
- 「食と農にかかわる物語づくりをお手伝い」をモットーに縦横無尽に活動中。農作物を起点とした日本の食文化・食品加工・品種改良に詳しい。植物好き、料理好き、酒好き。J.S.A.ソムリエ。著書に『日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語』など。
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https://twitter.com/wavebreeder