[発見。ニッポン食文化見聞録]能登輪島の丸柚餅子

[発見。ニッポン食文化見聞録]能登輪島の丸柚餅子

その土地土地において伝統的に培われた「本場」の製法で、地域特有の食材などの厳選原料を用いて「本物」の味を作り続ける人々がいます。そんな製造者たちによって作られる「原料」や「製法」にこだわった伝統食品を通して、日本各地の豊かな食文化を探っていく竹下大学さんによる連載。第5回目は、能登輪島の丸柚餅子を紹介します。

バブル期に都市伝説が生まれた柚餅子

郷土料理は地域の食文化を映す鏡だ。転居や旅行の際に、生まれ育った場所で慣れ親しんだ食べ物が、自分の想像とはまったく異なる姿や形をしていて驚いた経験は、誰にでもあるはず。これが菓子の世界では、よりいっそう地域色が発揮されている。同じ呼び名なのにまるで別物、というように。
今回とりあげる「ゆべし」はそういった和菓子の代表格といえる。ここでちょっと目をつぶって、慣れ親しんだゆべしを頭に思い浮かべてみてほしい。どんな形で、どんな味をしていただろうか。原材料には何が使われていただろう。

ゆべしは漢字で書くと柚餅子。柚とはもちろんユズのこと。なのにユズをまったく使わないゆべしも多く存在するうえ、それぞれが地元銘菓として長く愛され続けているのがおもしろい。

平安時代に生まれたとされる柚餅子だが、そのはじまりは菓子ではなかった。餅とユズと味噌を加工した保存食であり、携帯食だったのだ。それが砂糖の普及により甘い菓子に変化していき、およそ850年の歴史を経て、今のような多様性を持つにいたったのである。

現代のゆべしは次の3タイプに大別される。

●くるみゆべし
東北・北関東で一般的なゆべし。ユズが使われないのは、これらの地域では当時、ユズがまだ栽培されていなかったためだ。私にとってのゆべしといえば、このタイプ。

●棒ゆべし
ユズの皮を練り込んだ餅を羊羹状に固めたタイプ。岡山、愛媛、新潟、九州で作られている。

●丸柚餅子
柚餅子の原型で、果肉をくりぬいた柚子釜に刻んだ木の実を練り込んだ餅を詰めたタイプ。能登、南信州、東三河などの一部地域で、伝統製法を守った丸柚餅子がつくられている。

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昔の料理本に登場するのは、この丸柚餅子だ。江戸時代初期(1643年)にまとめられた『料理物語』第二十では、柚釜に味噌が主体の詰め物をして、蒸した後に干してつくった酒のつまみであった。
なお丸柚餅子は、バブル期には“世界一高価な和菓子”だという噂が立ったほど。その特異な姿と稀少性、手間暇かけた製法とが、こうした都市伝説を生んだのだろう。

貝原益軒のレシピ

貝原益軒は、江戸時代初期の儒学者であり本草学者である。貝原益軒の名を聞けば、条件反射的に『養生訓』が出てきてしまう人も多いはず。『養生訓』は、84歳と長命であった益軒が、83歳の時にまとめた健康法についてのノウハウ本。健康長寿を体現した人気作家の本だけに、大ベストセラーになったのもうなずける。それだけではない。現代の健康本には、たいてい『養生訓』のエッセンスが含まれているのだ。人が心と体の健康を願う気持ちは、昔も今も変わらない。

そんな益軒が53歳の時にまとめた『日本歳時記』(1688年)にも、柚餅子のレシピが記されている。菓子の項目で、柚餅子づくりを11月の行事として紹介している。もちろん丸柚餅子である。

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能登の柚餅子は輪島塗が広めた

石川県輪島市。日本海に突き出した能登半島の北側に面した輪島は、朝市、輪島塗、千枚田などで知られる。江戸中期から明治にかけては、大坂と北海道を結ぶ北前船の寄港地として栄えた土地柄だ。

さて、輪島塗が能登の柚餅子を広めたというのは、いったいどういうことなのだろうか。

輪島塗には塗師屋(ぬしや)という独特の仕事がある。塗師屋とは、分業制で作られる漆器づくりを取りまとめる総合プロデューサー。輪島塗の企画・デザイン、製造、販売を一手に引き受けている。したがって塗師屋はみずから、各地の顧客を一軒一軒訪問営業するのである。全国で売り歩くだけに、塗師屋は流行に敏感で、文化教養的知識も高く、輪島の経済をけん引した。輪島塗が日本を代表する高級漆器の地位を築けたのは、時代の先を読んだ塗師屋たちのおかげなのである。

能登の柚餅子はといえば、輪島ならではの日持ちのきく気の利いた手土産として、塗師屋に重宝され、各地の名士に知られるようになっていた。

柚餅子総本家中浦屋のこだわり

柚餅子総本家中浦屋は伝統製法にこだわり、4代に渡って丸柚餅子を作り続けてきた。中浦屋では、いまも変わらず毎年11月初旬に柚餅子製造を始めている。

最初の工程は柚釜づくりだ。使われるユズは、日本一の産地として知られる、高知県物部産の秀品のみ。厳選された旬のユズから、専用の竹べらで皮の白い部分まで掻き出すと、透けるほど薄い柚釜になる。

13555_image03.jpgこれに代々工夫を重ね、時代に合わせて微妙に配合を変えてきた秘伝のもち種を詰めて蒸し上げる。その後、5月頃まで約半年間自然乾燥で熟成させることで、あの飴色の柚餅子が生まれるのである。

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13555_image05.jpg今でこそ「柚餅子総本家」を掲げている中浦屋だが、4代目の中浦政克さんが小学校に入る頃までは、和菓子の製造販売と並行して、牛乳やたばこなども販売していた。ささらに柚餅子はまだ主力商品となっておらず、年に100~200個ほどしか生産していなかったという。ある時それを先代が柚餅子専門店に変えたのだ。

13555_image06.jpg「父の決断があってこそ今の当社があります。私はその路線を引き継いだに過ぎません」。こう語る中浦さんだが、家業を継ぐ決断をしたのは中学生の時。病気がちな父を支える母を助けたい一心からだった。

「丸柚餅子が全国に広まったのは、ここ50年ほどのことです。それまでは知る人ぞ知る、輪島の伝統菓子にすぎませんでした。1970年以降の能登半島ブームと輪島塗人気につられるようにして、丸柚餅子の知名度も高まったというのが正直なところです。塗師屋さんたちがお得意先への手土産やお歳暮お中元に使ってくれたおかげですね」

北前船から飛行機に変わったとはいえ、輪島塗の営業スタイルは今も変わらない。

「好景気に支えられ輪島塗はどんな値段でも売れました。これがバブル崩壊で、一気にダメになってしまったんです。和室も造られなくなり、自宅に来客を招かなくなり、和食も減りました。漆塗の座卓や食器が使われる機会を失い、漆器産業は縮小していったわけです。一番影響を受けたのが、下請けの木地屋や沈金蒔絵などの職人たちでした。その結果、塗師屋を介さずに職人が自らのブランドを立ち上げ、直接販売する流れが起きました。塗師屋に頼らず観光需要にも依存せずというように」

ニューヨークのトップシェフたちが注目する食材へ

柚餅子の現状に対して、中浦さんは強い危機感を抱いている。

「当社の立ち位置もこれと似たようなもので、バブルがはじけた影響をもろに受けました。私は金沢大学と北陸大学の講義で、必ず柚餅子を知っているか学生に尋ねることにしているんです。昔はたくさん手が上がりましたが、最近ではあまり上がりません。地元の大学ですらこの状況。核家族化の影響もあるのでしょうけれども、情報を若い世代に届けられていないのだと気づきました。それからですね。お菓子としてだけでなく、料理の食材として丸柚餅子をPRし始めたのは」

中浦さんが目をつけたのは、ニューヨークのシェフたちだった。
「若い頃、売り物にならない規格外品を、ウイスキーのつまみにしていたことを思い出したんです。丸柚餅子はハードリカーにもとてもよく合うんですよ。白ワインはもちろんですけどね」

自分のこの経験をよりどころに、海外展開に乗り出した中浦さん。石川県の支援も受けてニューヨークの高級レストランへの飛び込み営業を開始したのだった。

初めて見る柚餅子には引き気味となるシェフたちも、ひとたび味わえば目の色が変わる。ユズを使ったことのあるシェフですら、口に入れると一様にビックリするのだそう。でもこうなればしめたもの。あとはシェフたちのイマジネーションに委ねればよい。一瞬で乳製品と相性がよいことを見抜き、チーズ、オイル、バター、ジェラートなど、ただ素材と素材をあわせるだけで、次から次へと斬新な一皿が生まれていったのだった。

「一番の発見は、彼らが丸柚餅子に対して菓子だという固定観念を持っていないことでした。だから発想が自由なんです。シェフが知っているのは、せいぜいユズというフルーツについてだけ。テクスチャーが独特なので、何かに使えそうだと言ってくれたんです。一番多く使ってくれたのは、『ダニエル』というミシュラン2つ星のフレンチレストランでした。丸柚餅子を使った新作料理は、ニューヨーカーにとても評判がよかったんですよ」

同じくフレンチの名店『ブーレ―』では ステーキとフォアグラの二段重ねの上に柚餅子のスライスを乗せソースをかけた。ユズの香りが臭みを消し、餅の甘みがコクを引き出したこの一皿を、中浦さんは生涯忘れられないだろうと語った。

「逆に国内では、柚餅子はとても売り込みにくい商品なんです。みなさん、ご当地の柚餅子に対する先入観が強すぎて。商談中に、相手が別の柚餅子を求めているとわかったりして。柚餅子の原型であることに囚われ過ぎるのはマイナスだなと。で、ここ3年は、柚餅子と言わずに、丸柚餅子で通してみています。いまの時代に合った形で新たなご縁を繋いでいきたいですね」

これまで多くの方が応援してくださったことを誇りに、丸柚餅子の魅力を発信していたいと語る中浦さん。中浦屋では丸柚餅子に変更後、検索サイトからオンラインショップへの流入数が上向いたという。また、ユズを使った洋菓子が好調なことから、これらとの相乗効果で若い世代への丸柚餅子の認知度は高まってきているそうだ。


▶︎柚餅子総本家中浦屋のvimeo https://vimeo.com/user65943480
 丸柚餅子の製造工程などがドキュメンタリータッチの動画で紹介されている 

丸柚餅子のおいしい食べ方とユズの健康効果

丸柚餅子の食べ方は、そのまま薄切りにしてお茶うけや酒のつまみにするのが定番だが、お吸い物や茶わん蒸しにも入れるのも間違いない。洋風な使い方としては、アイスやヨーグルトのトッピングがおススメ。チーズと合わせれば、和洋中どんなお酒とも相性抜群になる。
硬くなってしまった時には熱を加えると簡単に柔らかくなりおいしく食べられるのも、丸柚餅子ならではの特徴だ。

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「最近発見したおいしい食べ方があるんです。何だと思いますか?」と中浦さん。

「ピザのトッピングです。これはお手軽で絶品。私自身驚きました」

ユズの栄養成分といえば、果皮に含まれる大量のビタミンCだ。果皮100グラムあたり160ミリグラムのビタミンCは、イチゴやキウイの果肉の約2.5倍。この事実を知れば、柚子なますのありがたみが増すはずだ。

とはいえユズ最大の特徴といえば、和のフレーバーを代表するあの香り。柚子風呂では、香り成分であるリモネンやリナロールによって交感神経が刺激され、血流がよくなる。リラックス効果とともに体の芯からあたたまるのは、このためだ。
ユズ特有の香りに寄与しているのはユズノンという香気成分なのだが、これは2008年に長谷川香料が発見した新規成分なのである。 

能登の丸柚餅子は、「本場の本物」でも認定

「本場の本物」とは、日本各地の豊かな食文化を守り育てるために設けられた地域食品ブランドです。言い換えれば、その土地土地において伝統的に培われた「本場」の製法で、地域特有の食材などの厳選原料を用いて作り続ける「本物」の味と認められた食品の証です。
能登の丸柚餅子は、「本場の本物」に伝統の味、本物の味として認定されています。

https://honbamon.com/product/能登輪島の丸柚餅子/index.html

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【参考文献】
「図説 江戸料理事典」松下幸子, 柏書房,1996



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著者情報

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竹下大学
「食と農にかかわる物語づくりをお手伝い」をモットーに縦横無尽に活動中。農作物を起点とした日本の食文化・食品加工・品種改良に詳しい。植物好き、料理好き、酒好き。J.S.A.ソムリエ。著書に『日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語』など。
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https://twitter.com/wavebreeder