[江戸メシ クロニクル]江戸時代の食と感染症の話

[江戸メシ クロニクル]江戸時代の食と感染症の話

食や料理への「偏愛」を教えてもらうHolicClipコラム。ご紹介するのは、江戸の食文化を愛するクックパッドエンジニア・伊尾木さんの「江戸メシ クロニクル」です。初回は食と感染症のお話。

はじめに

僕は週末、地元のプロサッカーチームの応援にいく。 スタジアムで声をからして応援して、ゴールの時は隣の知らないオジサン達とハイタッチをする。 そして勝利の余韻に浸りながら帰るというのが定番だった(そうでない時もあるけれど...)。 少なくともここ数年はこんな週末を過ごしていたし、これからもずっと続くと思っていた。 ところが、突然この日常が消えてしまった。 新型コロナウィルス(COVID-19)の影響だ。 現代でも流行り病に対抗することは中々難しい。いわんや江戸時代をや、だ。

この連載では、江戸時代の食に関するアレコレをゆるふわに書いていくつもりだった。 江戸時代は、暗黒面はあるにせよ、なんともゆるふわな時代だった。食に関してもとても楽しい話が多い。 特に現代でも食べられる料理が色々登場してきた頃でもあり、とても興味深い時代だ。しかし、2020年の春は、ある意味人類未曾有の状況で、今後の歴史を振り返る時に大きな転換期になるかもしれない。 そんな状況を無視して、やれ「江戸時代の大食い大会で、餅を100個食べた人がいた」とか、やれ「高級料理屋では、茶漬けを作るのに半日かけて、値段は8万くらいした*1」などと書いていくのもどうなのかと、 自分でツッコミを入れてしまった(いや、こういう話を書いていきたいのだが...)。

前置きが長くなってしまったが、というわけで、今回は江戸時代の感染症と食についてのアレコレをつらつらと書いていこう。 (社会的危機と食という意味では、飢饉の方がずっと食と関係が深い。そりゃそうだ。飢饉に関しては次回書きたい。次回があるならば…) 江戸時代も感染症に苦しんだ時代だし、当然現代よりもずっと状況は酷い。最初に断っておくと、感染症対策などで参考になる話はほとんどない。 基本的には神頼みだった。(ちなみに現代でも、妖怪の「アマビエ[1]」がTwitterで盛り上がるんだから、実に面白い。時代は江戸時代なのかもしれない)

何を食うか、それが問題だ

江戸時代、コレラや天然痘など実に多くの感染症が襲ってきた。その中で、何を食えば良いのか、避けるべきものは何かという情報はよく出回った。 いくつかの例をあげてみよう。

守山藩 (現在の福島県)、享和三年 (江戸後期1803年) 六月十三日の廻状には、麻疹流行をうけて食うべきものとして 「うるだんご、あまさけ、あめ、黒豆、小豆、長いも、大こん、いんげん、ふき、かんひょう、しろ瓜、ちそ、くずの粉、みそ、しょうゆ」 とある。但し、生では食うなとも書かれている。一方 「油強き魚、鳥、ねぎ、あさつきの類、一切の匂ひ悪しきもの」 は75日間食うべからずとされている。食うべきものとされるものは、消化がよく栄養があるもが選ばれているようだ。 また、安永五年 (江戸後期1776年) の同様の廻状には、「麻疹に茄子、きゅうりはもっての外」とされている[2]。 どうも刺激が強かったり、体を冷やすものは避けろということのように見える。

安政箇労痢(ころり)流行記[3]という、金屯道人こと仮名垣魯文が刊行した本の中に、コレラにかかった場合は 「熱き茶の中へ其茶の三分一焼酎を入れ砂糖すこしを加えてのむべし」 とあり、逆に「一切の菓類(くだもの)を多く食ふべからず」とある。 ここでもやはり体を温めて、栄養をつけようという意図がうかがえる。

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安政箇労痢流行記概略:国立公文書館デジタルアーカイブより
http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/tenkataihen/epidemic/contents/50/index.html

比較的清潔だった江戸

新型コロナウィルス(COVID-19)の影響で、今までにないほど手洗いを強化している。清潔であるということは、異性にモテるための必要な要素であると共に、感染症対策として非常に重要だ。

江戸の街は、現代の人からみれば清潔であったわけではない。そもそも、ことわざにあるように、風が吹いたくらいで桶屋が儲かるんだとしたら、砂埃の多い不潔感とネズミの多い不衛生さに現代の人は我慢ならないだろう。 僕なら絶対に無理だ。 しかし、同時代のヨーロッパの都市と比較すると間違いなく清潔だった[4]。 江戸の街が清潔だった理由はいくつかあるが、人間の糞尿の処理が上手くされていたことが大きい。 またゴミも回収されていた。これらは、実は食と関係がある。

都市の大きな問題の1つは、人間の糞尿の処理だ。同時代のヨーロッパはこれを上手く処理できなかった。そもそも、まともなトイレがなかった。ロンドンやパリでは、おまるに「済ました」あと、それを窓から外に捨てていた。 フランスでは捨てる前に「ガーディ・ロー(そら、水がいくぞ)」と声をかけるのが習慣だったそうだ。当然、被害にあう人も多かった。 中世からこんな調子で、フランス国王のルイ9世すら被害にあったそうだ。 ウンが付いたなんて言っていられない悲劇だ。

これに対して、江戸では糞尿を上手く処理していた。それどころか、糞尿が商品として流通していた。 売り手は江戸に住む人間(お武家様も長屋の大家も)、買い手は農民で、目的は農作物の肥料にすることだ。 値段は場所や時期によって異なるが、小さな船に一杯で一両から二両強、8万から16万強といったところだ[5]*2。 また、10人の1年分で金二分から三分、4万から6万といったところだろうか[6]。

つまり、江戸の住人は農民から野菜などを買い、食べて後に出た「オマケ」を農民に売り、また食糧として買い取るという循環システムができていたことになる。非常によくできたシステムだ(僕も毎日無駄に垂れ流しているので、誰か買い取ってほしい。本当に)。 なにせ商品だから丁寧に扱われた。江戸の街にはいくつもの公衆トイレがあったほどだ。当然目的はそこに集まった「商品」を農民に売ることだ。 またクズゴミも同様に、農作物の育成のために集められた。だから、江戸の街は同時代の他都市と比べて糞尿やゴミが少ない清潔さを保てたのだ*3。

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江戸の公衆トイレの風景。江戸名所道外尽 廿八 妻恋こみ坂の景:国立国会図書館デジタルコレクションより(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1308286

糞尿利用のシステム自体は、鎌倉時代から戦国時代にかけて出来てきたとされるが、江戸時代になって大規模になった。 それは江戸の人口を支えるためであり、そして江戸の住人の豪勢な食欲を満たすためだった。 江戸っ子が初鰹を好んだことはよく知られているが、それと同様に野菜も初物が好まれた。この野菜の初物を作るのに、ゴミを堆積して発酵させた熱を利用した「促成栽培技術」が発達した[7]。

例えば、茄子は本来夏が旬の野菜だが、なんと高級料理屋などでは初茄子が正月に出されていたらしい[8]。 まるで花見席にサンタクロースがやってくるくらいの驚きだ。ただ、初茄子は相当小さかったようで「目へ這入るほどで目の出る初茄子」と歌われた。

この糞尿利用のシステムは良いことばかりではない。僕のサッカーチームの勝利は、同時に対戦相手の負けを意味するように、物事には何につけ裏表がある。 糞尿の利用は、寄生虫大国の日本を生み出すことにもなった。当然、生野菜のサラダを食べるなんてこともできない(寄生虫の宿主になろうという広い心があれば別だが)。 サラダが食べれるようになったのは戦後になってからだ。

次回は

未来は予測できない。でも、もし次回があるなら先に述べたように飢饉の時の食について紹介したい。 連続して明るい話ではなく、少々心苦しいが、こういう時期でもなければこんなテーマは選べないので、読者の寛大な心に期待したい。 テーマは明るくなくとも、そんなに暗い話にならないように頑張るので。


注釈
*1 これは少し語弊がある。八百善という江戸を代表する料理屋の伝説なわけだが、これは客が「極上の茶漬け」を要求したからだ。いかに八百善とて、普通の茶漬けはこんなことはしないだろう。
*2 文久三年 (幕末1863年) 中川流域の六ッ木村の下肥相場。葛西船1艘分。ちなみに、一両=8万でざっくりと計算。貨幣価値は揺らぐので、目安でしかない。
*3 歴史評論家の永井義男氏は日本とヨーロッパの糞尿の利用の差は、牧畜の差であろうと指摘する。すなわち、ヨーロッパでは家畜の糞尿が豊富に手に入ったため、わざわざ都市にまで取りに行く必要がなかったとしている。


参考文献
[1] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%93%E3%82%A8, 2020/4/19 閲覧.
[2] 昼田源四郎, 疫病と狐憑き―近世庶民の医療事情, みすず書房, 1985.
[3] 金屯道人, 安政箇労痢流行記, 天壽堂, 1858.
[4] 永井義男, 江戸の糞尿学, 作品社, 2016.
[5] 森朋久, 幕末期江戸東郊農村における下肥流通, 1993.
[6] 鬼頭宏, 環境先進国・江戸, PHP研究所, 2002.
[7] https://www.tokyo-ja.or.jp/farm/edomap/tokyo09.php, 2020/4/19 閲覧.
[8] 中江克己, お江戸の意外な「食」事情, PHP研究所, 2008.





著者情報

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伊尾木将之
大阪出身のうさぎ好き。修士までは物理を学び、博士課程で情報系に進むも撃沈。現在はクックパッドでエンジニアをしながら、食文化を研究している。
日本家政学会 食文化研究部会の役員を務める。
2020年秋から社会人大学生(文学部)に。
本業は川崎フロンターレのサポーター。
https://github.com/kikaineko/masayuki-ioki