[蕎麦ワンダーランド]江戸三大食、蕎麦の歴史

食や料理への「偏愛」を語ってもらうHolicClip。現役の蕎麦職人でもある「そば小僧」さんによる新連載コラムです。初回は蕎麦の歴史をたどっていきます。

そば小僧と申します!

皆さん、初めまして。私は「そば小僧」と申します。このたび蕎麦に関して記事を書かせていただくことになりました。とはいえ、どこの馬の骨ともわからない小僧だと思いますので、少しだけ自己紹介をさせていただきます。

小僧は、都内の更科堀井という蕎麦屋さんに5年間勤めております。今回はこのような執筆をしておりますが、普段は蕎麦を打っております。職人の世界ではまだまだ小僧でございますので、「そば小僧」と名乗らせていただいております。

皆さん、小僧が勤めている更科堀井はご存知でしょうか。おそらく知らない方も多くいらっしゃると思います。知っている方は、中々の蕎麦通ですね!

更科堀井は、創業から230年以上もの歴史のある蕎麦屋さんです。蕎麦好きには「江戸三大蕎麦」とも言われております。そう、江戸時代から続く、有名な蕎麦屋さんということです。「江戸三大蕎麦」なので、他にも二つ有名な系譜があるのですが、そちらはまた追々あらためてご紹介いたしましょう。

また、江戸〇〇に関連すると「江戸三大食」という言葉もありまして‥ 寿司、天ぷら、蕎麦(うなぎと言われることもあります)は当時のファストフードとして江戸っ子たちに愛されておりました。「蕎麦をたぐる」なんて言い方がありますが、漢字では「手繰る」と書きます。きっとせっかちな江戸っ子たちは、手で蕎麦を食べる勢いで食していたのでしょう。

そんな蕎麦ですが、実は現在のような形状にする技術は、江戸時代に完成したというのをご存知でしょうか。「え?蕎麦は初めから蕎麦じゃないの?」と思った読者の皆さん、実は違うのです。蕎麦にも長〜い歴史があるんです。

では、どのように今皆さんが食べている蕎麦になっていったのでしょうか?今回はそんな蕎麦の歴史を小僧がギュッと短くお伝えいたします。では、蕎麦の歴史の旅へスタート!

秀吉は〇〇を好んで食べていた!?

いきなり、秀吉さんを出してごめんなさい。ですが、これには目的があるのです!
ただ歴史を振り返るのなら詳しく書かれたものが他にも沢山ありますので、より深く正確に知りたい方は興味の翼を広げぜひ蕎麦の世界を探究してくださいね。小僧はなるべくわかりやすく、簡単に、そう、「蕎麦ワンダーランドへの案内人」のような気持ちで書いていこうと思います。

さて、話は戻ります。7世紀へのタイムトリップから始めましょう。皆さん「続日本紀」をご存知でしょうか。おそらく歴史の授業で聞いて遠い昔の記憶として残っている方もいるかもしれません。実はこの「続日本紀」の中に蕎麦の記録が残っています。長い間雨が降らず、田畑などが乾いてしまう干ばつの際に、元正天皇により蕎麦の栽培をするよう命じられたという内容です。

ここで小僧が言いたいのは、「7世紀には蕎麦栽培が始まっていた!」ということです。私たちのソウルフード「お米」は、弥生時代とさらに遡りますが、蕎麦も聖徳太子が活躍していた飛鳥時代には既に栽培されていたわけであります。もしかしたら、第二のソウルフードと言ってもいいかもしれません。(言い過ぎですかね笑?)

3150_image01.jpg蕎麦はこのように昔から栽培されていたわけですが、当時はまだ蕎麦と言っても、今私たちが食べているような、細い麺状のものではありませんでした。知識においても、道具や技術においても、まだまだ現在のようなレベルではなかったんです。いわゆる麺状の蕎麦が言及されるようになったのは、戦国時代(天正2年)とも言われ、その当時は他の蕎麦料理と区別するため「蕎麦切り」と言われていたようです。つまり戦国時代までは「蕎麦切り」ではなく、それ以外のものが食べられていたということです。皆さん大丈夫ですか、ちゃんと付いて来てくれてますか。まぁ気楽にいきましょう!

「蕎麦切り」ができるまでは、蕎麦の実のままお粥にした「蕎麦粥」や「蕎麦餅」「蕎麦がき」にして食べていたようです。少し脱線いたしますが、いずれも蕎麦小僧がいる更科堀井では、会席料理で提供することがあります。中でも「蕎麦がき」は蕎麦の風味がよりダイレクトに味わえ、今でも提供している蕎麦屋さんは多いですよ。豊臣秀吉は「蕎麦がき」が好きだったことでも有名です。(きっと有名ではないですね)食べたことがない方はぜひお試しください。ただし、職人の腕がパンパンになる料理ですので、感謝の気持ちを込めて食べていただくとよいかもしれません。(笑)

話を戻します。このように私たちが思い浮かべる麺状の蕎麦は、戦国時代以降から食べ始められるようになりました。そして時代は江戸時代へと移り、蕎麦全盛期を迎えます。と言いたいところですが、最初はそんなこともなかったようです‥。

江戸っ子だって蕎麦よりうどん??

粋な江戸っ子は軽やかに蕎麦を手繰る。皆さんはそんな印象を持っているかもしれません。しかし、そんな江戸っ子は初めからいたわけではありません。江戸時代と言っても、1603年から1867年までの265年もの長い期間がございます。単純に現在の小僧が10回近く生まれ変われる年月でございます(年齢がばれますが)。いわゆる江戸の庶民が「江戸っ子」と自称するようになったのは、化政期(1804年〜)頃からだそうです。江戸時代も後半の時期ですね。つまり、蕎麦が江戸庶民にとってのソウルフードとなるまでには時間がかかりました。実際に江戸初期には「江戸の庶民=蕎麦」ではなく「江戸の庶民=うどん」。そうです、うどんの町だったようです。とほほ。

なぜ江戸の初期には、蕎麦の人気がなかったのか。それは、こんな理由だと言われています。

・そもそも蕎麦屋がなかった
・蕎麦はアワやヒエと同じような雑穀で、貧しいイメージがあった
・調理技法がまだまだ未熟であった

特に味や品質においては、うどんに及ばず、単純にあまり美味しくなかったのではないでしょうか。ではどのようにして、蕎麦が江戸っ子のソウルフードになるまで駆け上がり、江戸の食文化の代名詞となったか。そこには江戸の町の繁栄と大きな関係がありました。

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『東都名所高輪廿六夜 待遊興之図』歌川広重(初代)

蕎麦は江戸のファストフード?

江戸時代の蕎麦の発展は、屋台の貢献がとても大きかったと言われています。安価で手軽な夜食として、江戸庶民の生活に密接していたようです。今では、完全にラーメンにそのポジションを取られた気もしますが、まぁそれは置いときましょう。

屋台のメニューには蕎麦と一緒にうどんもありまして、当初はやはりうどんの方が人気でした。しかし、蕎麦はうどんの力を借りながらも、江戸の町の発展と一緒に徐々に江戸庶民の生活に定着していきました。

江戸開府から100年近く経った1716年頃には、江戸は人口100万人を超える大都市に成長し、全国各地から商工業者や町人などが集まりました。またその中には独身男性も多くいたと言われ、手軽な外食のニーズが高まり、蕎麦屋の発展に繋がったと言われています。

今では「ファストフードといえば、蕎麦」とはなりませんが、当時はその感覚で食べられていたことが想像できます。現在、お店で食べる蕎麦の量が少ないと感じるのも、小腹を満たすために食べられていたことの名残だそうです。「3時のおやつに蕎麦!」といった感覚でしょう。

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江戸時代の蕎麦屋の屋台『鬼あざみ清吉』歌川豊国


また1771年頃には、醤油と鰹節の「蕎麦つゆ」が普及し始めました。この頃には「蕎麦切り」の技術も進化し、食べ方としても様々な具材をのせて食べる「種もの」(鴨南蛮・とじ蕎麦など)へと発展し、蕎麦の楽しみ方も増えていたようです。屋台の蕎麦売りから座敷を設けた高級店の蕎麦屋、冷たい蕎麦から温かい蕎麦まで、様々な用途に対応できた蕎麦は、江戸の庶民たちに広く受け入れられました。

「時そば」と言う有名な落語がありますが、ちょっとずるくも、いなせな江戸っ子の様子がよく伝わる落語ですので、ぜひ聴いてみてください。

最後に、そば小僧から

駆け足ではありましたが、つまみにつまんで蕎麦の歴史をお伝えしてきました!
本当は江戸時代初期の「蕎麦の作り方」や「蕎麦つゆ」など、伝えたいことはまだまだ沢山ありました。例えば「なぜ蕎麦はせいろに盛り付けられているのか」、その名残は当時の技法にあるのです。小僧はもっともっとあるあるを言いたい!しかし、ここはグッと堪えて皆さんの探究心を信じ、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

小僧もまだまだ知らないことばかりです!皆さんと一緒に勉強できたらと思いますので、今後とも緩〜く長〜くお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
あ、Twitterもやってますのでぜひ!それでは、また次回お会いいたしましょう。

 

参考文献:蕎麦屋の系図、岩﨑信也、光文社知恵の森
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334785840





著者プロフィール

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そば小僧
「江戸三大そば」とも言われる更科堀井で5年間程、修行中。厨房で料理を作る傍ら、SNS運営、通販サイトの立ち上げと、何でも屋の小僧です。「日本の伝統」がとても好き♪ Twitterも是非ご覧ください。https://twitter.com/sobakozoo