[蕎麦ワンダーランド]江戸から続く三大蕎麦屋の今昔

[蕎麦ワンダーランド]江戸から続く三大蕎麦屋の今昔

食や料理への「偏愛」を語ってもらうHolicClip。現役の蕎麦職人でもある「そば小僧」さんによる新連載コラムです。2回目となる今回は、江戸三大蕎麦のお話です。

前回の記事はこちら:https://foodclip.cookpad.com/3150/

江戸三大蕎麦を知ろう

皆さん、こんにちは。第2回目の「そば小僧」です!
前回は「蕎麦の歴史」について語りました。ボリュームのある内容だったかなと思いますが、読み切れましたでしょうか。知識だけではなく、文章力も少しずつ鍛えていきますので、末長くよろしくお願いいたします!

さて今回は、蕎麦を語る上では欠かせない「江戸三大蕎麦」についてご紹介したいと思います。きっと読み終わる頃には、誰かに知識を自慢しながら、蕎麦を食べに行きたくなっていることでしょう。歴史に思いを馳せ「はは〜ん」と妄想(笑)しながら、蕎麦を楽しんでもらえればと思います。では、いきます! 

江戸三大蕎麦って?

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蕎麦好きな方なら一度は耳にしたことがあるかも知れませんが、「江戸三大蕎麦」と言われる蕎麦屋があるのをご存知ですか?

江戸時代から続く蕎麦屋の三大系統で、現在でものれんを構えており、蕎麦の歴史を感じるにはぴったりなお店です!それぞれの系統は「砂場」「藪」そして「更科」となります。

ん…?何か気づきましたでしょうか。そうです。小僧はこのうちのひとつである「更科」に所属しています。小僧の所属している蕎麦屋は江戸から続く大暖簾(自慢)なのです!

もちろん、どの系統も公平にご紹介していきますのでご安心ください。それでは、「砂場」から見ていきましょう! 

「砂場」は砂場からできた!?

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虎ノ門 大坂屋 砂場
https://www.toranomon-sunaba.com/


まず皆さん、「砂場」という名称の付く蕎麦屋は思い浮かびますか?

・山岡鉄舟も贔屓にした、大正ロマンを感じる「虎ノ門砂場」
・天ざるの発祥とも言われる「室町砂場」
・「赤坂砂場」に「南千住砂場」

しかしこの「砂場」、実はルーツは江戸ではなく大坂で、豊臣秀吉の時代にまで遡ります。「砂場」は大坂築城の際に使用された、砂置き場から始まりました。

もちろん、砂置き場の上で蕎麦を提供していたわけではありません。大坂城を築城する際に使われていた砂置き場が、築城後には整備され、その辺り一帯がそのまま「砂場」という地名になりました。そして、その「砂場」で蕎麦屋の営業が始まったのがきっかけです。

当初は「砂場」という名称の蕎麦屋があったわけではなく、それぞれ固有の店名を持っていましたが、俗称で庶民から「〇〇の砂場」と言われたようです。

挿絵は、昔の砂場一帯にあった「和泉屋」の店内の様子ですが、とても繁盛していたことが伝わってきますね!

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『江戸時代の砂場いづみや』(摂津名所図会)


そして、1751年の「蕎麦全書」には、江戸の蕎麦屋として「砂場」が初めて登場します。江戸の「砂場」についての出自は定かではないものの、「薬研堀大和屋大坂砂場そば」と店名が記されていることから、大坂の「砂場」に由来していることがわかります。

つまり、江戸蕎麦のひとつと言われる「砂場」もルーツは大坂にあったということですね。

竹藪の中で「藪」蕎麦?

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かんだやぶそば
https://www.yabusoba.net/


次に「藪」を見ていきたいと思います。「砂場」と同じように「藪」も俗称から来ています。(昔の店名は単純でさっぱりしていて、なんだか気持ちがいいですね!)

竹藪の中にあった蕎麦屋だったので、俗称で「藪」と呼ばれるようになったのです。中でも現在の「藪そば」は、当時大繁盛していた「蔦屋」という蕎麦屋、別名「団子坂藪蕎麦」に由来しています。

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『東京名家繁昌図絵』「団子坂藪蕎麦・蔦屋」


現在の文京区千駄木の団子坂辺りにあり、挿絵からもわかる通り、とても壮大なお店だったようです。立派なお庭には人工の滝まであったというので、今では考えられないほどの豪華な蕎麦屋ですね!

また、かつてこの団子坂には森鴎外が住んでいたとも言われているので、もしかしたらお客さんだったかもしれません。(あくまで予想です)

このように栄華を極めた「団子坂藪蕎麦」でしたが、明治39年(1906年)に本店は廃業し、堀田七兵衛さんが支店を譲り受けたのが、現在の「神田藪蕎麦」の始まりです。

ちなみにですが…支店を譲り受ける前から、堀田七兵衛さんは「中砂」という蕎麦屋を営んでいました。お気づきでしょうか、「砂」の1文字があることから当初は砂場系のお店だったそうですよ。

現在の「神田藪蕎麦」は四代目の堀田さんが店主をされており、歴史を感じます。さらに「神田藪蕎麦」の系譜としては、他にも「上野藪蕎麦」や「並木藪蕎麦」があります。中でも「並木藪蕎麦」は、東京で最も「辛いつゆ」として有名です。「辛い」というのは「塩っ辛い」という意味で、汁がしょっぱいのです。

蕎麦の粋な食べ方として「蕎麦は汁にどっぷりと付けない」とよく言われますが、「並木藪蕎麦」は今でもそんな「粋」を語りながら食べられる蕎麦屋でもあります。

小僧の本拠地!更科

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総本家 更科堀井
https://www.sarashina-horii.com/


そして最後に「更科」です!今回はギュッとまとめてお伝えしますが、チャンスがあるならば、ぜひじっくりと更科について語りたい…。

「更科」の前身は「信州更科蕎麦処布屋太兵衛」から始まります。「砂場」や「藪」とは違って、「更科」の名前には少し説明が必要ですが、しかしこの名前を紐解くと「更科」の歴史がよくわかります!

創業は寛政元年(1789年)、初代布屋太兵衛から始まりました。「布屋」と名乗っている通り、太兵衛は信州出身で全国に布を売る行商人でした。「布はいらんかねぇ〜」って感じですかね。太兵衛は布を売り捌くために、江戸にも上っていたのですが、麻布の地にあった主家・保科家の江戸屋敷に滞在することを許されていました。

保科家は信州保科村のお殿様であり、徳川の親戚筋でもありました。その保科家によって、太兵衛はそれまで趣味で作っていた蕎麦打ちの腕が認められ、麻布の地に「信州更科蕎麦処布屋太兵衛」の店をおこしました。

店を始めるにあたって、「更科」という店名は、出身である信州の更級から「更」をとり、そして「しな」は「級」ではなく保科のお殿様から「科」の漢字をいただき、「更科」と名乗りました。つまり、保科家がパトロンのような状態だったようです!

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『永坂町更科蕎麦店の図』(山本松谷画)


当時から高級路線であった「更科」は、大名屋敷や有力寺院、果ては徳川家にもお蕎麦を届けていたと言われています。ちなみに皇室にも届けたことがあるそうです。

こうして「更科」は蕎麦屋の中でも「誰知らぬものなき、蕎麦の老舗なり」と言われるような大暖簾として、名を馳せました。しかし七代目の時代、昭和16年に関東大震災や昭和恐慌の煽りを受け、一度は倒産に追い込まれます。

ですが、やはり、更科のない麻布は麻布ではなかったのです(小僧の勝手な見解)。商店街の方々の支援を受け、麻布の地に更科が復活します。そして紆余曲折を経て、現在では「信州更科蕎麦処布屋太兵衛」をルーツに持つ「更科」が、麻布の地に三店舗存在しています。

麻布にお越しの際には、ぜひそれぞれの個性を感じていただければと思います! 

最後に

今回も長くなってしまいましたが、小僧からすれば、まだまだ語り足りません…。
それぞれの系統で語れること、もっとたくさんありましたが、今回はほんの少しだけ解説させていただきました。少しでも蕎麦に興味を持ってもらえれば、小僧としては本望です!

ちょっとした外出の時には蕎麦屋で一杯、なんていかがでしょうか。その時はぜひ「江戸三大蕎麦」を語ってくださることを願いながら、今回はこの辺で。





著者プロフィール

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そば小僧
「江戸三大そば」とも言われる更科堀井で約5年間修行。厨房で料理を作る傍ら、SNS運営、通販サイトの立ち上げと、何でも屋の小僧です。「日本の伝統」がとても好き♪ Twitterも是非ご覧ください。https://twitter.com/sobakozoo