[お茶の話しと、私たち]産地のお茶と郷土料理

[お茶の話しと、私たち]産地のお茶と郷土料理

食や料理への「偏愛」を語ってもらうHolicClip。日本茶インストラクターで、株式会社 茶淹の代表取締役でもある伊藤尚哉さんによる連載[お茶の話しと、私たち]。今回はお茶と食文化の深い関わりについてです。

前回の記事はこちら:https://foodclip.cookpad.com/3444/

はじめに

僕は「このお茶はOO産だからおいしい!」なんてことは、絶対に言わない。
お茶も郷土料理のように、昔からその地域の人々に愛されてきた味わいや香りがあり、味の良し悪しでは判断できない個性や魅力があるだけで、産地による品質の優劣なんてないと思っています。

今から約2年前、僕は岐阜県の東白川村の「大門茶(だいもんちゃ)」というお茶に出会ったことで、より一層その想いが強くなり、日本茶を深く愛するようになりました。

「大門茶」ほど、オリジナリティー溢れる個性的なお茶に出会ったことは今までありませんでした。そしてそれ以降も、これほどまでにインパクトのあるお茶には、なかなか出会うことができていません。なぜなら、このようなお茶は、その地域だけで消費され、商品として販売されることが少ないからです。

「大門茶」について語る前に、日本茶の起源について簡単に説明させてください。

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日本茶の起源と白川茶の発祥

遣唐使が往来していた奈良・平安時代、最澄(さいちょう)や空海(くうかい)などの留学僧が、唐よりお茶の種子を持ち帰ったのが、日本でのお茶の歴史の始まりとされています。

当時の中国では、お茶は薬として利用されていることが多かったようです。日本でも同じように、皇族や有力僧侶、貴族階級など上流階級の一部の間で広がりましたが、遣唐使の廃止により、この時代の日本には、お茶の文化は定着していきませんでした。

鎌倉初期(1191年)に栄西(えいさい)禅師によって、再び中国(宋)から日本にお茶が持ち込まれます。その後、華厳宗の僧の明恵(みょうえ)上人が、栄西から譲り受けたお茶の種を京都の栂尾(とがのお)の高山寺に植えて、お茶栽培を始めました。これが日本最古の茶園といわれており、現在の宇治茶のルーツとなっています。

今から約450年前の室町時代に、岐阜県東白川村の幡龍寺の住職が、京都の宇治からお茶の実を持ち帰り、村人に植えさせたのが白川茶の発祥と言われてます。

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白川茶発祥の地、
蟠竜寺で収穫される「大門茶」

東白川村は、神仏分離令による廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、仏像や寺などの仏教建造物が破壊され、日本で唯一、寺院が存在しない自治体となっています。

白川茶発祥の地の拠点となった蟠龍寺(ばんりゅうじ)も、今は寺跡の石垣が残るのみですが、その石垣の隙間や参道には、お茶の木が力強く自生しています。

そのお茶を「大門茶」と言います。「大門茶」は、毎年5月に村人たちの手によって、新芽を一つ一つ手で摘んでいく手摘みという方法で収穫されます。

収穫されて出来上がるお茶の量は、わずか3kg程度。その半分は「献茶祭」にて、蟠龍寺の住職様に献上(献茶)されます。残るのは1.5kgだけ。生産量が少ないあまり、一般的には販売されないため、とても貴重なお茶です。

僕は2年前に東京で開催されたイベントで、偶然にも「大門茶」を飲むことができました。これまで飲んだどのお茶とも異なる、なんとも表現しがたい個性的な味と香草のような香りに、おいしさ以上の感動を覚えました。

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お茶と郷土料理

初めて「大門茶」を飲んでから2年後、今年の5月に蟠龍寺を訪れ、「大門茶」の収穫に参加しました。朝から始めて昼過ぎまで、5-6時間かけて村人総出でひたすら新芽を摘んでいきます。

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摘み終わった茶葉は近くの茶工場で仕上げられて、後日、村の神事の献茶祭で飲むことができました。献茶祭では、郷土料理の「朴葉寿司(ほおばずし)」が振舞われます。

「朴葉寿司」は岐阜、長野の一部の地域に伝わる郷土料理で、魚や山菜などを具材としたちらし寿司を朴の木の葉で包んだものです。

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朴葉には殺菌効果があるといわれ、手も汚さず食べられることから、農作業や山仕事の携帯食として作られたのが始まりです。酢飯の上に具材を並べるものや混ぜ込むものがあり、また入れる具材も地域によって異なり、さまざまな味が楽しめます。

お寿司を食べる時にお茶を飲む。日本人にとっては普通の組み合わせですが、この時に飲んだお茶は至高の一杯でした。

酢飯の酸味、漬物の塩味、お茶のうま味と適度な渋み、鼻から抜ける爽やかな香りといった複雑な味と香りの要素が、ぎゅっと綺麗に束ねられたようにまとまっていて、もはや「合う」ではなく、まるでその組み合わせが一つの料理であるかのように「調和」していました。

お茶と食との関わり

日本酒が和食と合うように、鰹だしに昆布だしを足したらおいしくなるように、緑茶のうま味が食事のうま味を底上げしてくれて、料理をおいしくさせることがあります。

ただ、「大門茶」と「朴葉寿司」のように、“相性の良さ"を超越した「調和」は、いつも食事の時に飲むお茶と何が違ったのか。色々と考えを巡らせていると、僕のお茶の師匠であり、いま共にお茶づくりをしている茶師が言っていた、「ティーペアリングのことを突き詰めて考えると、お茶と食について、その地域の食文化に行き着くんだよね…。」という言葉を思い出して、なるほどなと思いました。
日本の食文化とお茶はとても関わりが深いもので、和食の文化の根底には「茶の湯」の文化があります。

茶席でお茶を出す前に振る舞われる、一汁三菜(いちじゅうさんさい)という食法を用いた簡単な食事の事を「茶懐石」といい、そこから発展して、料亭などで出される懐石料理という今の和食の形を生みました。

茶事(お茶会)では、茶懐石、ならびに和菓子、茶道具、茶室のしつらえを通じて、美意識や価値観を共有しながら、素晴らしい空間、時間を客人と作り上げていく事をおもてなしとしています。ただ空腹を満たすための食事ではなく、目の前の相手の心を満たすための食事であり、そこには、ただ味わいとしての相性がいいだけでない、お茶と食の関わりがあります。

「大門茶」の献茶祭では、村の人たちが育てた食材で作った郷土料理と、皆で収穫したお茶を、同じ時間を共有しながら楽しめたことこそが東白川村からの最上のおもてなしでした。

約450年前に宇治からお茶が伝わってから、東白川の人たちの手によって受け継がれてきたお茶と、古くから親しまれてきた食文化を、伝統的な神事の場で味わえたからこそ、“相性の良さ"を超越した「調和」につながったのだと思います。本当に感動的な時間でした。

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最後に

お茶の歴史から遡りながら、食文化との関わりについても考察して、前回に比べると少し小難しい内容でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

お茶はペットボトルやティーバッグで手軽に楽しめる良さもありますが、歴史や文化を深掘りしても発見があり、とても幅広い魅力があります。

お茶は楽しいものです。旅行や出張などでお茶の産地を訪れることがあったら、ぜひその地域の郷土料理とお茶を楽しんでみてください。きっと今までにないお茶体験が味わえると思います。





著者プロフィール

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伊藤尚哉
株式会社 茶淹 代表取締役

1991年愛知県出身。24歳のときに日本茶のおいしさに魅了され、2016年から名古屋の日本茶専門店・茶問屋に勤務。
2018年日本茶インストラクターの資格を取得(認定番号19-4318)愛知県支部役員
2019年日本茶ブランド「美濃加茂茶舗」の立ち上げに参画、店長に就任。
2020年美濃加茂茶舗を運営する「株式会社 茶淹(ちゃえん)」を設立。