
食の未来
“食いしん坊雑誌”として真っ当で普遍的なおいしさを楽しむ
FoodClipでは新春特集として、食品業界を担うキーマンの思考を連載形式でたどります。昨年創刊30周年を迎えた、食いしん坊のためのメディアdancyu編集長の植野氏が登場。「男子厨房に入るべからず」を転じて「男子も厨房に入ろう」と促す「dancyu」は、コロナ禍でどのような発信をしてきたのか。そして、次の30年に向けて目指すところについてもうかがいました。(聞き手:FoodClip編集部)
お話をうかがった方
dancyu編集長
植野 広生 氏
2020年振り返り
―2020年3月末に緊急事態宣言が出され、気軽に外食へ行けなくなった中、媒体としての編集方針に変化はありましたか?
緊急事態宣言が出された時は、dancyu6月号を作っていました。
その前書きで僕はこう書きました。
美味しい料理は人を笑顔にします。 楽しい食事は人生を豊かにします。
だから、好きなものを自由に食べにいけないのはつらいことです。飲食店や生産者など日本の食をささえる人たちも、厳しい日々を過ごしています。
このような状況の中、食の雑誌として何をすべきか考えました。その結論は、これまでと変わらず「食いしん坊のみなさんに食の美味しさや楽しさを提案する」ことです。(後略)
dancyu6月号 P15より
上記の通り、食いしん坊のみなさんが食をもう少しおいしく、もう少し楽しくなるような雑誌を作ること。世の中の状況が変わっても僕たちが伝えるべきことは、まったく変らないことに気が付きました。
7月号「元気になる肉料理」では、物理的に取材撮影ができる状況ではなかったので、肉料理が得意なカメラマンや料理研究家に協力していただき、それぞれで撮影してもらいました。その上で、編集部員が実際にそのレシピを試作してまとめた、dancyu初のリモートで作った1冊でした。
―年間の制作計画を大きく変更をして、新たに特集を作り上げたのですか?
年間の方針は立てていますが、通常時も特集内容は常に変化します。必ずその計画通りには作りません。季節の料理や旬、世の中の食いしん坊たちの感覚的なものを優先して特集を作っているんです。今、食いしん坊たちが何を食べたいか、どんな料理を作りたいか。これは経済要因だけではなく、気候なども含めたさまざまな要因を統合して決定します。
株式投資で、サイコロジカルラインというものがあります。経済指標とは別の投資家心理による指標です。企業の業績の良し悪しの判断だけでなく、多くの投資家がこの株を買いたいと思う心理的要因があると株価は上がります。僕は食にもサイコロジカルラインがあると思っています。世の中の食いしん坊たちが、今こっちに心惹かれているであろう指標を読むといった感覚です。僕も食いしん坊の一人なので、その肌感覚は持っていると思います。その感覚を持って特集を決めています。
―社会が変化し、これまでの予測変換が通用しなくなった今はどうお考えですか?
「朝起きて、3食食べて、普通の生活をする」というとお医者さんから言われるみたいなことですが(笑)。食の媒体を作っているからと言って、食のことだけを考えていたら面白い媒体を作ることはできません。
僕は普段から、食の専門家の方々とばかり食事をしているわけではありません。自分が食にばかり、どっぷりとつかっていると、世の中の食いしん坊の気持ちは分かりません。普通に暮らして、普通に飲み食いしているだけです。普通よりはちょっと食に対する興味は強いのですが…。でも、世の中のさまざまな動きに興味を持って、その中で食いしん坊たちが感覚的に何を求めているかを分かろうとしています。よく「来年の食のトレンドは何ですか?」といった質問を受けるのですが、そもそもdancyuはトレンドを追いかけているわけではないので、答えようがないのです。
―コロナ禍での外食産業のシーンをどのように見ていましたか?
予約が取れない人気店に関しては、通常の営業ができなくてもお弁当などのテイクアウトを出すとあっという間に売り切れて、店によっては通常以上に人が集まる。その一方でSNSの発信などもできない店には人が集まらなかった。街場で長年営業を続ける、素敵な定食を出すおじいさん、おばあさんの店は何もできない。もちろん、店を訪れる常連さんはいるかもしれませんが、あまり人が集まっているとは言えない。街場の店をサポートする方が先決なのではないかと個人的には思っていて、実際に外食の際は家族経営の店を選んでいました。コロナの影響で、こんなに素晴らしい日本の食文化が途絶えてしまうのは、本当に悔しいので。
僕は、BSフジで「日本一ふつうで美味しい植野食堂」という番組に出演していますが、そこで訪れるのは基本的には街場の店です。街場の普通の食事も、実は裏ではすごく努力を重ねている。長年経営されてきて、時を重ねることでしか出せない味があります。コロナとは直接関係はないかもしれませんが、そういう裏側をみなさんに知ってもらうことによって、日本の食文化に目を向けて欲しいという思いがあります。
―30周年記念特集として12月号では「おいしい店100」、1月号では「おいしいレシピ100」を発行しました。
僕たちが作っているのは、グルメ情報ではなく、食いしん坊がもっと楽しめるような提案をお届けする雑誌です。今回に限らず、dancyuの店選びのコンセプトはA級もB級も関係なく、新旧もなく、“今”行きたい店です。30年やってきたからこそ、今が一番いいという店、派手さはないけど安定的な味を提供してきた店、そういう目に見えないところをきちんと提案していきたい。そのために我々編集部員は、日々試食に行き、味を確かめ、店を追い続けているんです。
30周年記念号としては、我々が30年間紹介してきた3万件弱の店や7,000を超えるレシピからそれぞれ100を選びましたが、そこに明快な基準はありません。30年前も今も、そして30年後も素晴らしくておいしい、ランキングで数値化ができない普遍的なおいしさをdancyuでは伝え続けていきたいと思っています。
これからの食
―これからの社会で、どのような食の楽しみ方を提案していきますか?
正直に言うと、コロナ前の日本の外食シーンは少しバランスが悪いと感じていました。店を選ぶ時に自分の基準ではなく、情報に頼りすぎている。情報サイトやメディアで高い評価を受けているから行きたいというのは、自分の価値基準ではないですよね。だから、行列のできる店は、なぜ行列ができるのかというと、それは行列ができているから、ということになってしまう。
コロナ以降、SNSで「#チカバとイツカ」と発信していましたが、なかなか自由に外食ができない今こそ、近場の店を開拓してみる。いつか行ってみたい店に関しては、どういう味なのか妄想を膨らませたり、店のレシピを真似して作ってみたり。いつか店を訪れた時には、答え合わせの楽しみが増えると思うんです。チカバとイツカのバランスを考えて食に向き合ってみたらいいのではないでしょうか。
もう一つ、これからの外食のキーワードは、“ひとりメシ”と“ひとり呑み”です。宴会などができないので、どうしてもひとりメシが多くなります。もしかしたら一人だと寂しいと思う人もいるかもしれないけれど、ひとりメシを楽しめる人はちゃんと食と向き合える人だと思っています。宴会だとみんなで大皿をつつくので、つい多く注文しすぎてしまったり、話に夢中になって料理を残してしまうこともありますが、一人だとそういうこともなくフードロスの削減にもなり環境にもいいですよ(笑)。みんなが一人になれというわけではないですが、ひとりメシのスタイルが上手に活用されていくといいと思います。
―最後に、dancyuは次の30年を見据えて、どのような発信をしていくのでしょうか?
真っ当で普遍的なおいしさを日常的に楽しむこと。グルメ情報誌でなく、“食いしん坊雑誌”でありたいという思いは、創刊から30年経っても変わらず、次の30年に向けても目指すところです。
writing support:Yasue Chiba
著者情報

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