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食の偏愛コラム
[和菓子タイムトラベル]南蛮菓子ってどんなもの?後編
和菓子メディア「せせ日和」を運営している「せせなおこさん」に、和菓子を通じて日本の文化や歴史を教えてもらう企画です。読んで学んで、和菓子をもっと身近に感じてくださいね。
前回の南蛮菓子ってどんなもの?(前編)に引き続き、今回は後編をお届けします。
前編はこちら:https://foodclip.cookpad.com/7802/
九州に根付く南蛮菓子
南蛮菓子=カステラ、くらいのイメージしかなかった私ですが、調べてみるとその多さにびっくりしてしまいました。それと同時に、関東に比べて九州では、あんこやお餅を使ったいわゆる和菓子があまり浸透していないのも、この南蛮菓子の文化が根付いているからなんだということがわかってきました。
前回に引き続き、南蛮菓子について探っていきたいと思います。
南蛮からやってきた砂糖菓子
当時の砂糖はとても貴重なもの!というイメージが強いですが、実は当初、オランダ船の荷物を安定させるための重りとして使われていました。次第に製糖業が発展し、輸入品として扱われるようになります。鎖国をしていた日本では、輸入された砂糖が長崎に集まり、砂糖を使った食品も一緒に伝わったとされています。そんな砂糖を使った代表的な南蛮菓子を見てみましょう。
まず一つ目に、織田信長も好物だったとされる金平糖。実は南蛮菓子なんです。ポルトガルから中国を経由し、日本にやってきたと考えられています。もともとはポルトガルの「砂糖菓子」を意味する「confeito(コンフェイト)」に由来します。金平糖のような角はなく、でこぼこしていて今でも一部の地域で作られています。
作り方は基本的には同じですが、金平糖は2週間ほどじっくりと時間をかけて作っているため角ができるのだそう。京都に専門店が1店舗、九州でも金平糖を作るお店は数軒と、とても少なくなっています。
続いて紹介するのは「ざぼん漬」というお菓子。九州では長崎の他に大分や鹿児島でも銘菓として知られています。ザボンが日本にやってきたのは1667年。数年後には市内で栽培されるようになりました。
中国から「蜜漬け」の技術が伝わり、1694年には「蜜漬屋敷」が建てられます。毎年果物や野菜を蜜漬けにして幕府に納められていました。専門の「御用漬物師」までいたんだそうです。当時は様々な果物や野菜が使われていましたが、現在ではザボン漬けだけが残っています。ザボンのほろ苦さと甘いお砂糖、ゼリーのような食感がクセになるお菓子。キラキラとした見た目はお菓子の宝石とも呼ばれています。
他にも茶道で使われる「有平糖(あるへいとう)」という飴菓子も南蛮菓子の一種。砂糖を意味する「alfeloa(アルフェロア)」が語源といわれています。長崎では冠婚葬祭に、佐賀ではハレの日に使われ、京都では工芸菓子として有平糖細工が用いられ、美しい自然の風景が表現されます。
復活した南蛮菓子
日本に伝来した南蛮料理をまとめた本「南蛮料理書」をもとに復元・現代風にアレンジされたお菓子があります。
前回の丸ぼうろのお話で出てきた佐賀の鶴屋は、1639年に創業した歴史あるお店。丸ぼうろの他にも南蛮菓子をモチーフにした「肥前ケシアド」という商品があります。これは南蛮菓子の「ケイジャータ」というチーズを使ったタルト風のお菓子をもとに作られたもの。
中にはかぼちゃのあんこが入っています。なぜなら、当時はなかなか手に入らなかったチーズの代わりにかぼちゃを代用していたからなんです。かぼちゃのあんこがビスケットのような生地で包まれている他にはないお菓子です。
大分にある但馬屋老舗はかつて岡藩の御用達のお菓子屋さんでした。キリシタンだった大友宗麟の影響で南蛮文化も栄え、岡藩の資料に残っていたものを現代風にアレンジしてできたのが「はるていす」です。
「はるていす」は挟む、という意味があるんだそう。クッキーのような見た目ですが、これはアーモンド粉からできていて、ほろっとした食感。麦焦がしを入れたシナモン風味のあんこがサンドしてあり、最後に香るスパイスにびっくり。きっと当時の人は珍しがって食べたのでしょうね。
それから、熊本にある香梅で作られている「加勢以多(かせいた)」という商品も南蛮菓子に由来しています。加勢以多はもち粉で作ったおぼろ種でマルメロ羹を挟んだお菓子。現在はマルメロではなくカリンのジャムが使われています。
ポルトガル語の「Caixa da Marmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ)=マルメロジャムの箱」が由来といわれており、江戸時代には幕府への献上品としてつくられていました。明治時代になり、作られなくなりましたが「山城屋」というお菓子屋さんが復元。しかし、その山城屋も閉業してしまったため、香梅によって再復元されました。細川家秘伝の伝統銘菓で、細川家の家紋「九曜の紋」の焼印が押してあります。
九州の和菓子屋さんでは隠れた銘菓として南蛮菓子が受け継がれており、今回探しきれなかったお菓子もありそうです。
さぁ、いよいよ砂糖が長崎街道を運ばれていきます。それぞれの土地の材料と文化と合わさってどんなお菓子ができていくのでしょうか。次回もお楽しみに!
著者情報

- せせなおこ
- あんこが大好きな和菓子女子。和菓子を好きになったきっかけはおばあちゃんとつくったおはぎ。小さな和菓子に日本の文化や歴史が反映されているのに魅力を感じ、和菓子を発信すべく和菓子メディア「せせ日和」を運営。商品開発や和菓子専用のコーヒーのプロデュースもしています。
せせ日和:http://sesebiyori.com/