[江戸メシ クロニクル]江戸時代の花見

[江戸メシ クロニクル]江戸時代の花見

食や料理への「偏愛」を教えてもらうHolicClip。江戸の食文化を愛するクックパッドエンジニア・伊尾木さんによる人気コラム「江戸メシ クロニクル」です。今回は、江戸時代の花見について語っていただきました。
前回の記事はこちら:https://foodclip.cookpad.com/7017/

江戸時代にレジャー化した花見

江戸時代をもっと理解したくて、昨年末に期間限定でちょんまげにしてみた。もちろん頭を剃る月代もだ。 それ以来、うちの4歳の子どもに「パパ=江戸」という図式ができあがったようで、 テレビで江戸クイズが出るたびに「パパ、分かるでしょ!?」と何故かややキレ気味に解答を求められる。 パパの威厳を保つのも大変だ。 しかも、「古いもの=江戸」という認識なので、縄文時代のことも平気で「パパ、江戸だよ」と言ってくる。 パパの威厳を保つのも、本当に大変だ。

さて、今回は季節柄、江戸時代のお花見についてでも書こうかと思う(書いている時点でお花見時期なので、読者にとっては時期外れかもしれない...)。 昨今の事情的に気軽に花見に出ることも難しいかもしれないが、今回は楽しい絵をたくさん載せるので、せめて気分だけでも花見を味わってほしい。

花見が現代のように「桜を見るという名目で大騒ぎする」という意味になったのは、実は江戸時代からだ。 それ以前も、もちろん字面通りの花見(花を愛でる)ということは日常的におこなわれていたが、 そこでワイワイやるというのは、貴族や農村の年中行事がメインだった。それが一大レジャー化したのが江戸時代なのだ。

今も昔も楽しい宴

江戸時代の花見も今の花見も、桜を口実にドンチャン騒ぎをやる。その様子は多くの浮世絵などでみられる。いくつか見てみよう。


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飛鳥山の花見の様子:国立国会図書館デジタルコレクション:江戸名所道戯尽 五 飛鳥山の花見


これは飛鳥山の花見の様子だが、あちこちでゴザや緋毛氈のようなものを敷いて宴会を開いていることが分かる。

ちなみに、前面のグループでは、盲目の男性が誤って花見客の弁当をひっくり返して、皿まで割ってしまっている。どうだろう?もしあなたの花見席にこんなことが起こったらどうするだろうか?おそらく、あなたは怒りはしないまでも、少なくとも困ったことになったと思うのではないだろうか。ところが、だ。この絵では、みんな笑って描かれている。怒りも困った顔もしていない。江戸時代が今よりもゆるふわだったのかもと思わせる作品だ。*1


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飛鳥山の花見の様子2:600dpi パブリックドメイン美術館:渓斎英泉 – 江都飛鳥山花看之光景


これまた、飛鳥山の様子だ。先ほどと同様、いたるところでドンチャンやっていることが分かる。


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御殿山花見の様子:国立国会図書館デジタルコレクション:江戸むらさき名所源氏御殿山花見 見立花の宴


こちらは御殿山。女性が酒を飲んでいる絵だが、後ろの方でもやはり宴会がおこなわれている。江戸時代の花見も、今の花見も似たようなものだが、ただ、どちらかというと江戸時代のほうが「気合い」が入っていた。 江戸時代初期の仮名草子の「紫の一本(ひともと)」にはこう書かれている[1]。

町方にては女房娘正月小袖といふは仕立てず花見小袖とて(中略)花より猶見事なり

現代的に言えばこうなる。

「町人の女性は、正月には小袖を仕立てないのに、花見小袖を仕立てる。(中略)花よりも見事なものだ」

非常に気合が入っている。しかも、雨が降ってもわざと傘をささずに小袖を濡らしていた。 そのほうがイケてると思ったいたようだ。傘をさしては折角の着物が見せれないし、そんなこといちいち気にしてないわ、というアピールだろうか。いずれにしてもかなりの気合いを感じる。

師匠の花見

江戸時代後期に師匠の花見と呼ばれるものが流行っていた[2]。


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墨田川堤春景 一部抜粋:国立国会図書館デジタルコレクション:江戸名所図会 7巻19


手習いのお師匠さまが弟子たちを大勢引き連れて花見見物に出るというものだ。 特徴的なのがそろいの衣装を着て、華やかに着飾った集団だという点だ。 上の図がまさにその一行で、一部分を拡大してみてみよう。


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墨田川堤春景 一部抜粋を拡大:国立国会図書館デジタルコレクション:江戸名所図会 7巻19


同じような柄の着物に同じような髪飾りをしていることが分かる。

「駅前のピアノの先生が、豪華なお揃いの衣装で大勢の生徒を引き連れて、花見に来た」 というような状況だ。 正直なところ、僕がこの場にいたらドン引きしているかもしれない。

当時の人たちもやや冷ややかな目で見ていたようだ。幕府からは風紀が乱れるとして取締りもおこなわれていた。一方で純粋に見世物としては面白いので、江戸の人たちはこぞってこの師匠の花見を見物にいったようだ。 確かに、僕もドン引きする一方で、動画を撮ってSNSに流すこと請け合いだ。

ちなみに、江戸時代はこういう行列というか、パレードのようなものはある程度見慣れたものだった。 例えば大名行列が有名だし、そこまで大規模ではなくとも、民間の葬式や結婚でも行列を作って街を行進するということが一般的におこなわれていた。だから、僕ほどのドン引き感はなかったかもしれない。

吉原の夜桜

江戸時代、吉原の夜桜はとても有名だった。


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吉原の夜桜の様子:600dpi パブリックドメイン美術館:東都名所尽 新吉原夜桜之光景


この吉原の桜、実はこの時期にだけ持ち込まれるものだ。 ちょうどクリスマス時期にテーマパークにモミの木が持ち込まれるのと似たような話だろう。

ちなみに、江戸名所花暦という明治の頃の書物では、数千本植えたという記述がある。どこまで本当か不明だが、本当なら今のテーマパークも顔負けの規模だ。是非僕も一度は見てみたい。

花見のごはん

花見にはやはり酒と食べ物だ。 江戸時代後期の料理書「料理早指南」に花見弁当の内容が載っているので、その一部を紹介しよう。


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豪華なお弁当箱:人文学オープンデータ共同利用センター:料理早指南

一の重
  かすてら玉子 わたかまぼこ わか鮎 むつの子 早竹の子
  早わらび うちぎんなん 長ひじき 春がすみ
二の重
  むしがれい さくら鯛 干大こん かんろばい(甘露梅)
三の重
  ひらめとさよりの刺身
四の重
  小ぐら野きんとん 紅梅もち 椿もち 薄皮もち かるかん
割籠
  焼飯(焼きおにぎり) よめな つくし かや小口の浸物

とても豪華だ。もちろん、これは当時の最上級の弁当になる。 庶民の弁当はもっと質素だ。
長屋の花見という落語にもその様子が現れるが、ちょっとふんぱつして「卵焼き・かまぼこ・酒」のようなものだった。

現代からすればとても質素な弁当だろうが、これでも当時はちょっとしたごちそうだった。 足りなければ、近くの店でちょっと焼き豆腐を買うという感じだ 。(渓斎英泉の江戸御殿山桜盛之風景という浮世絵に花見席で豆腐田楽を売っている絵がある。 この絵をここに載せたかったのだが、著作権的に難しそうだった。実に残念だ。とても楽しい絵なので、こちらで見てほしい)*2

それにしても、今も昔も弁当には卵焼きというのは定番だったことは興味深い。卵焼きは偉大だ。

桜餅

桜と食べ物という点で、やっぱり外せないのは桜餅だ。 桜餅は関東と関西では異なるお菓子で、関西では道明寺、関東では長命寺という。 この関東の桜餅の発祥のお店はまだ浅草付近に現存している。お近くなら是非賞味して欲しい。

この長命寺の桜餅は江戸時代の大ヒット商品で、いろいろな文献に登場する。もちろん浮世絵にもよく出てくる。


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墨田川の桜:国立国会図書館デジタルコレクション:江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ花并ニさくら餅


この女性二人が持っているのが桜餅だ。当時どれくらい人気だったかというと、文政七年(1824年)の記録に、一年で桜の葉を775,000枚使ったという記録がある[3]。一本の桜の木から何枚の葉が取れるのか分からないが、仮に500枚取ったとして、1,550本の桜が必要になる。当時の桜餅はひとつにつき2枚の葉が使われていたので、一年で387,500個、一日にして平均約1,000個売ったということだ。

桜餅は、もともと長命寺で働いていた山本新六が「桜の葉っぱ無駄に捨ててるなぁ」と思ったのがきっかけとされている。僕もコンビニでもらうレシートを無駄に捨てているが、これを使えば歴史に残る大ヒット商品を生み出せるかもしれない。例えばレシート餅とかどうだろうか?僕は食べたいと思わないが。

また花見時期ではないが、幕末の下級武士・酒井伴四郎の日記を紹介しよう[3]。 酒井伴四郎が浅草へ遊びに行ったときの日記だ。

茶屋にて茶を呑、桜餅などを喰(中略)浅草観音え参詣ここにて浅草餅を喰、それより浅草通にてすしなどを喰、また祇園豆腐にて飯を喰

ぶらぶらしながら、桜餅、浅草餅、寿司、飯を食べ歩いている。伴四郎、こんなに食べて大丈夫なのか心配になるが、なんともほのぼのした一日だ。

おわりに

この記事がいつ公開されるかはわからないが、書いている最中が花見時期なので、どう考えても時期がずれた公開だろう。遅筆の筆者が悪い。 次はもっとタイムリーに書けるようにしたい。


注釈
*1 もちろんこれは浮世絵なので現実ではない。しかし、これがリアリティを持っていたというのが重要だ。
*2 今回は渓斎英泉の絵を多く採用している。気が合うのかもしれない。

参考文献
[1] 谷口廣之,「花見の都市-江戸・大坂の風土」, 阪南論集(38), 2002.
[2] 小野佐和子,「花見における民衆の変身と笑いについて」, 造園雑誌(48), 1984.
[3] 青木直己, 下級武士の食日記, 筑摩書房, 2016.





著者プロフィール

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伊尾木将之
大阪出身のうさぎ好き。修士までは物理を学び、博士課程で情報系に進むも撃沈。現在はクックパッドでエンジニアをしながら、食文化を研究している。
日本家政学会 食文化研究部会の役員を務める。
2020年秋から社会人大学生(文学部)に。
本業は川崎フロンターレのサポーター。
https://github.com/kikaineko/masayuki-ioki